2021年5月16日日曜日

2021年5月16日(詩編119:169〜176)

詩編119:169~176(タウ)
私は失われた羊のようにさまよっています。
あなたの僕を捜してください。
私はあなたの戒めを忘れません。(176節)

この長い詩編第119編の最後の節は「私は失われた羊のようにさまよっています」という言葉で始まっています。最初の男と女がエデンの園で神さまを裏切ったときから始まって、聖書は私たちが失われた羊のように迷い出て、さまよっている姿を描いています。そして、そんな私たちを捜す神さま。その究極のお姿こそ、イエス・キリストに他なりません。「私は失われた羊のようにさまよっています。」これこそ、私たちの神さまへの告白の言葉なのではないでしょうか。聖書は失われた私たちを捜す神さまのドラマです。私たちが「あなたの僕を捜してください」と祈るよりも先に、神さまが私たちを捜し出すために来てくださっているのです。
「私はあなたの戒めを忘れません」と言っています。神さまの戒めを軽んじたり蔑ろにしたりするということと神さまの前から失われているということとは、無関係ではないと思います。むしろ、同じ事です。私たちは神さまの御言葉を捨てることによって神さまの前から失われていく。ちょうど、最初の男と女が神さまの御言葉を無視し、蛇の言葉を信じてあの木の実を食べたように。ちょうど、あの息子が父を捨てて遠い国へ旅立ち、自ら失われた者となってしまったように。
この詩編第119編がいつ頃の時代に成立したのかはよく分かりません。しかし、言葉の内容から推測すると、恐らく、バビロン捕囚から解放され、エルサレムに人々が帰還していた頃のものであろうと思われます。暮らしも国も信仰も崩壊し、瓦礫の中からもう一度新しやり直そうとし始めていた時代でした。そんなガラクタの中から再出発しようとしたときに、神さまの御言葉、その律法、神のくださった掟に立ち帰ろうとしたのです。
今、この時代を生きる私たちにも、必要なのはこれなのではないでしょうか。私たちは神さまの前から失われた羊のようです。私たちには神さまの御言葉が必要です。私たちの生活を導く神さまの戒めが。自由をもたらす神の言葉を、私たちは求めて、今日の一日を歩んでいくのです。

2024年5月4日の聖句

あなたがたは豊かに食べて満ち足り、あなたがたの神、主の名をほめたたえる。(ヨエル2:26) イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで祝福し、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆にお分けになった。人々は皆、食べて満腹した。(マルコ6:41~42) 「我らの日用...