2021年5月27日木曜日

2021年5月27日(詩編130)

詩編130
主よ、深い淵の底からあなたに叫びます。
わが主よ、私の声を聞いてください。
嘆き祈る声に耳を傾けてください。(1~2節)

私はこの詩編が好きです。この詩編は、深い淵の底からの祈りです。7節を見ると、明るい言葉が語られています。

イスラエルよ、主を待ち望め。
主のもとに慈しみがあり
そのもとに豊かな贖いがある。

主なる神様への確かな信頼と、主の慈しみへの確信に溢れた言葉です。一見するとこの詩編の冒頭の「深い淵の底」にそぐわないように感じます。私は最初、最初は1節が言っているとおりに深い淵の底におり、ある時間が経過して神さまの救いを経験し、淵の底から脱出し、最後に至って「主のもとに慈しみがあり」と言って神を賛美するに至ったのではないか、と思いました。
しかし、今ではそれは違うのではないかと考えています。この詩編は、最初から最後に至るまで、深い淵の底にいる者の祈りなのではないでしょうか。深い淵の底にいるときだって、私たちは神を信頼し、その慈しみを確信して、賛美することができるのです。「イスラエルよ、主を待ち望め」と。この賛美は、「わが主よ、私の声を聞いてください。嘆き祈る声に耳を傾けてください」という祈りと矛盾しません。
深い淵の底で、私たちは嘆きます。神さまを呼び求めます。そして、主を待ち望みます。

私は主を望みます。
私の魂は望みます。
主お言葉を待ち望みます。
私の魂はわが主を待ち望みます
夜回りが朝を、夜回りが朝を待つにもまして。(5~6節)

主なる神様、この方こそ私たちを救ってくださる方。だから、私たちは深い淵のそこにいて主を待ち望み、主に向かって祈り、叫び、そして主を賛美します。必ずこの方が救ってくださる。必ずこの方が慈しみを与えてくださる。必ずこの方が私を贖ってくださる。そのことを信じ、私たちは主を待ち望むのです。

2024年4月30日の聖句

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