2021年6月12日土曜日

2021年6月12日(詩編146)

詩編146
幸いな者、ヤコブの神を助けとし
  望みをその神、主に置く人。
天と地と海と、そこにあるすべてのものを造り
  とこしえにまことを守る方。
虐げられている人のために裁きを行い
  飢えた人にパンを与える方。
主は捕らわれ人を解き放ち
主は見えない人の目を開き
主はうずくまる人を立ち上がらせ
主は正しき人を愛し
主は寄留の者を守る。
みなしごややもめは支えるが
悪しき者の道は滅びに至らせる。(5~9節)

主なる神様は、この世の虐げられている人を、この世と一緒になって虐げるようなことを決してなさらない。天と地と海と、そこにあるすべてのものをお造りになった方は、虐げられた人、飢えた人を心に留め、連帯する方です。捕らわれ人、見えない人、うずくまる人、正しき人、寄留の者、みなしごややもめ。彼ら彼女らは人間の歴史の中で、ずっと軽んじられてきました。特に現代のような生産性やスピード、成果で人間の価値がはかられる時代にはなおのことです。
3節に「諸侯を頼みとするな」とあります。今の私たちの生活に即して言えば、社会の中で身分の高いお金持ちや社会的地位のある人、有名な人、実績を上げている人、皆に注目されている人、といったところでしょうか。誰もが無意識に重んじ、近づきたいと思う人々。聖書の基準からすると、彼らを愛したところで何のよいことにもならないのだと思います。彼らは愛しやすいからです。愛への報いを期待できるからです。それに対して虐げられている人々はお返しをすることができないのです。
神さまの愛は、お返しができない人への愛です。だから、神の愛を「恵み」と言います。恵み深い神は軽んじられている人共にいます。この恵み深い愛によって、私も生かされている。それが真実なことです。

2024年4月29日の聖句

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