2021年7月1日木曜日

2021年7月1日(箴言12)

箴言12
正しき者は動物の思いが分かる。
だが悪しき者の憐れみは、残忍の域を出ない。(10節)

この章はとっても興味深く、おもしろい言葉がたくさんあります。
「正しき者は動物の思いが分かる。」すごく良い言葉です。動物の思いが分かるというのは、共感力と想像力が物を言います。動物はしゃべることができませんから、想像力なくしてその気持ちが分かるということはありえません。そして、動物の気持ちが想像できなければ、人間の気持ちを想像することだってできないと思います。
愛するとは、想像することです。相手が何を喜び、何を悲しみ、何に痛み、何を必要としているのか。想像し、その相手の痛みに寄り添い、喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く。それが愛するということです。
この箴言のユニークさは、動物の思いが分かるところに「正しさ」を見ているというところです。一見すると関係のない話のような気もしてしまいますが、正しさと愛するということとは別々のことではないということなのでしょう。愛することのない正しさは独善です。それでは正しさのない愛は何か?「悪しき者の憐れみは、残忍の域を出ない」と言っています。これが愛だと思っていたとしても、悪しき心から生まれるならば残忍でしかない。鋭い言葉だと思います。


正しき者は友に尋ねて道を探す。
悪しき者の道は人を惑わす。(26節)

もう一つ、今回心にとまったのはこの言葉でした。「正しき者は友に尋ねて道を探す。」尋ねて良い、頼って良いのだというのは、率直に、とても気が楽になります。仲間を信頼し、助けを借りて道を探して良いのです。自分一人で頑張らなくてよい。教会は、そういう友と出会う場所です。主イエス・キリストに向かって共に祈り、私たちは道を歩んでいきます。

2024年4月27日の聖句

「私には罪がない」とか、「主の怒りは私から去った」とあなたは言う。「私は罪を犯していない」と言ったために、今、私はあなたに裁きをもたらす。(エレミヤ2:35) イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください。(ルカ23:42) 十字架にかけられた一人の罪人が主イ...