2021年9月6日月曜日

2021年9月6日の聖句

私たちは先祖もろとも罪を犯し、過ちを犯し、神なき者たちでした。(詩編105:6)
イエス・キリストが私たちのためにご自身を献げられたのは、私たちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民をご自分のものとして清めるためだったのです。(テトス2:14)

「私たちは先祖もろとも罪を犯し、過ちを犯し、神なき者たちでした。」この詩編の言葉を祈る旧約の民にとっての先祖というのは、アブラハム以来の神の民の歴史そのもの、旧約聖書が伝える神の民の、神さまの御前での罪を数えている。私たちにとっての「先祖」も、同じです。私たちもキリストを信じて神の民の一員にして頂いた。旧約聖書や新約聖書の民の子どもになって、私たちもその歴史に生きています。そんな私たちは、先祖と共に罪を犯し、過ちを犯し、神なき者たちでした、と告白している。ここで気をつけたいのは、「私たちは・・・でした」と、過去形で話しているということです。私たちは罪深い者だった、過ちを犯してきた、神さまがいなくても大丈夫だと高をくくっていた。しかしそれは誤りだった。私たちは罪人だった。そのことに気付いたとき、それはもはや過去のことになります。私たちが自分の罪に気付けるのは、キリストの赦しの中だけです。キリストの圧倒的な愛と赦しの中で、私たちは初めて自分の罪を、過ちを、神ぬきで生きてきた自分の悲惨を知る。そしてそのことを知ったとき、すでに罪は過去に属している。今はキリストのものにして頂いた。今は神の愛の中に生きている。今は罪赦され、イエス・キリストが私のために御自分を献げてくださった愛の中に迎えて頂いている。私たちは福音のまっただ中にいるのです。
それは、キリストがご自分の者としてくださった私を「良い行いに熱心な民をご自分のものとして清めるため」です。キリストは私のようなものも新しくしてくださいます。
私たちは、罪人です。小さな存在であり、毎日が失敗の連続です。ところがキリストは私を愛し、罪と過ちを過去のものにして、キリストの恵みの今に生かしてくださいます。私は私の見所とか、良さとか努力とか、そのためにではなくて、キリストの憐れみのお陰で新しくして頂きました。ですからこの私の新しさは、ただただキリストの憐れみが生み出す新しさです。キリストの愛にすがって、今日という新しい一日を歩んでいきたいと願います。

2024年4月29日の聖句

主は正しい。私は主の口に逆らった。(哀歌1:18) ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、「子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい」と言った。兄は「いやです」と答えたが、後で考え直して出かけた。(マタイ21:28~29) 今日の新約の御言葉は、主イエスの譬え話です。二人...