2022年2月10日木曜日

2022年2月10日の聖句

天は、主の天。地は、主が人の子らに与えられた。(詩編115:16)
多く与えられた者はみな、多くを求められ、
多く任された者は、更に多くを要求されます。(ルカ12:48)

聖書の考える平等は、「皆が同じ」ではありません。それぞれ与えられた分に応じて、それにふさわしく、自分のするべきことを誠実にする。それが聖書の平等観です。
モーセに導かれて荒れ野に出た民のために、神さまはマナという食べ物を与えてくださいました。人々は毎朝、荒れ野に出て食べる分だけのマナを集めました。一日に一オメル升一杯という量です。明日の分が不安だと言って二日分集めてはいけません。毎日、その日の分だけ。安息日の前の日だけは二日分です。安息日は休むことができるように。主なる神様は人々に命じました。「あなたたちはそれぞれ必要な分、つまり一人あたり一オメルを集めよ。それぞれ自分の天幕にいる自分の家族に応じて取るがよい。」それで、「イスラエルの人々はそのとおりにした。ある者は多く集め、ある者は少なく集めた。しかし、オメル升で量ってみると、多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことなく、それぞれが必要な分を集めた」(出16:17)。とても不思議な話ですが、わたしはこの話が好きです。それぞれ、自分に必要な分を神さまが与えてくださいます。必要な分量は人によって違います。性別によっても、年齢によっても、全然違うのは当然です。しかし神さまはその人に必要な日ごとの糧を与えてくださるのです。皆が同じになる平等なのではなくて、必要なものを、分に応じて与えられる平等です。
ですので、多くを与えられた者は分に応じて多くを献げ、少なく与えられた者は分に応じて少なく献げる。それぞれが誠実に、自分に与えられた分に応じてふさわしく献げることが大事です。他の人と比べる問題ではないのではないでしょうか。
神さまは、私たちに地をあたえてくださった、と今日の詩編の御言葉は言います。地は、神さまが私たちに与えてくださった賜物です。そうであるなら、これは私たちの欲望を満たすためのものではなく、与えられた分に応じて神に献げ、また、他者のために活かすことがふさわしいのではないでしょうか。他の人や、この地に生きる多くの生き物たちが喜んで生きることができるように、私たちは与えられた者を賢く、謙虚に使うという宿題を、神さまから与えられています。今日も天には神に栄光があり、地には平和が、御心に適う人にありますように。

2024年4月27日の聖句

「私には罪がない」とか、「主の怒りは私から去った」とあなたは言う。「私は罪を犯していない」と言ったために、今、私はあなたに裁きをもたらす。(エレミヤ2:35) イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください。(ルカ23:42) 十字架にかけられた一人の罪人が主イ...