2022年2月12日土曜日

2022年2月12日の聖句

私の口を毎日あなたへの賞賛と讃美で満たしてください。(詩編71:8)
心に満ちていることを口が話すのです。(マタイ12:34)

ついポロッと口走ってしまった言葉で人を傷つけたり、人間関係をおかしくしてしまったり。心にもないことを言ってしまったと後悔します。言葉で失敗してしまったと思って悔やみます。ところが、聖書は言うのです。「心に満ちていることを口が話すのです。」そうだとすると、舌禍はついポロッと出てしまった失言とか、ちょっと間違ってしまったけれども本当は違うとか、そういう言い訳はできないことになります。その失言、私の口から飛び出す腐った言葉、それがまさしく私の心に満ちていることなのです。恐ろしいことです。怖いことです。何が怖いかと言えば、そういうところで明らかになる自分の心根が怖い。舌禍で見えてしまう自分の腐った心が恐ろしい。
だからこそ、私たちは祈らないわけには行きません。「私の口を毎日あなたへの賞賛と讃美で満たしてください」と。神さまへの賞賛と讃美が毎日口に満たされ、それが溢れ出てくるのだとしたら、それは私たちの心が神さまへの賞賛と讃美で満たされているということに他なりません。神さまへの賞賛と讃美に心が満たされ、神さまをほめたたえる言葉が溢れ出て来る人は、魅力的です。一緒にいると嬉しくなります。キリストの慰めがにじみ出てきて周りの人も癒やすし、神さまへの讃美が溢れて周りの人の心も高く上げます。心から内発してくる讃美の泉は、その人ばかりか周りの人をも潤します。
それは、神さまが私たちに起こしてくださる神様ご自身の御業です。だから、私たちは祈ります。「私の口を毎日あなたへの賞賛と讃美で満たしてください」と。神さま、私を憐れんで、なたへの讃美を心に満たしてください。私の心を空しい言葉が占領することを許さずに、私の心に讃美の歌を授けてください。「御名をあがめさせたまえ」と私たちは祈ります。
神さまを讃美するために、私たちは造られました。神さまを礼拝し、神さまを讃美することこそが私たちの最高の幸いです。ヨハネの黙示録を読むと、神さまの御国というのは、神を讃美し、礼拝を献げる場所なのではないかと思わされます。私たちはこの幸いに今日既に招かれているし、生き始めています。私たちの口は汚れているけれど、神さまがこれを清めて、讃美の歌を授けてくださいます。私たちの心にはよこしまなものが満ちているけれど、神さまがこれを赦し、神さまを讃美する幸いを私たちに授けてくださるのです。この神さまの御業は、もうすでに私たちの間で始まっています。

2024年4月27日の聖句

「私には罪がない」とか、「主の怒りは私から去った」とあなたは言う。「私は罪を犯していない」と言ったために、今、私はあなたに裁きをもたらす。(エレミヤ2:35) イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください。(ルカ23:42) 十字架にかけられた一人の罪人が主イ...