2022年2月26日土曜日

2022年2月26日の聖句

主は私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。(詩編27:1)
イエスは言う:私に従うものは誰でも、闇の中を歩きまわることなく、命の光をもつでしょう。(ヨハネ8:12)

主は私の光。命の光です。この御言葉を読んで、私は、今戦争が始まってしまっていることを考えないわけにはいきませんでした。暴力で自分の思いを実現しようとするところで、戦争が始まっている。彼の地に生きている人々はどんな思いで今このときを生きているのでしょうか。闇の中を、まさに歩かされているのではないでしょうか。戦火にさらされている弱い人々に、命の光が照らされることを心から願います。
ただ、悲しいことに今回のことは人間の歴史の中では珍しい出来事ではなく、人間の歴史が始まって以来繰り返されてきたことです。私たち人間が造る世界は、例え光を放って輝いているように見えているときであっても、輝いている人の足元で呻いている人がたくさんいました。私たちの知らないところ、あるいは見ないで済ませているところで苦しんでいる人がたくさんいました。世界は、いつも、闇に包まれています。
「主は私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。」
「私に従うものは誰でも、闇の中を歩きまわることなく、命の光をもつでしょう。」
今日与えられている二つの御言葉は、どちらも、主なる神様こそが私たちの光だと言っています。「主は私の光、私の救い。」新約の御言葉でも、「私に従う者・・・」が命の光を持つと言っていますが、主ご自身が命の光として照らしてくださるということに他なりません。この世界を見回しても光はないけれど、主イエスさま御自身が光となって私たちを照らし、救いとなって私たちを守ってくださいます。
主イエス・キリストを、私たちの神として信じ、膝をかがめて礼拝すること。そこでこそ、私たちが人間らしく生きる道が拓かれます。これは、キリスト教国かどうかなどという話ではなくて、実際にキリストの前にへりくだっているか、という生き方を問われているのではないでしょうか。キリストを愛し、隣人を愛し、キリストを礼拝する。ここに、私たちの人間らしさ回復の時と場があるのです。

2024年4月27日の聖句

「私には罪がない」とか、「主の怒りは私から去った」とあなたは言う。「私は罪を犯していない」と言ったために、今、私はあなたに裁きをもたらす。(エレミヤ2:35) イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください。(ルカ23:42) 十字架にかけられた一人の罪人が主イ...