2022年2月28日月曜日

2022年2月28日の聖句

主よ、誰が神々の中であなたと同じでしょうか。誰があなたと同じように神々しく聖でしょうか、畏れられているでしょうか、讃美されているでしょうか、不思議を行うでしょうか。(出15:11)
御父と共にあったが、私たちに現れたこの永遠の命を、私たちは見て、あなたがたに証しし、告げ知らせるのです。(1ヨハネ1:2)

この世に神々と呼ばれるものはたくさんあります。石や木も神々と呼ばれるし、山や海もそのように見なされることがあります。それどころか、すごい人を「神だ」と形容したり、人ではなく何かの優れた様を「神」という言葉で形容したりもします。経営の神やらサッカーの神やら、いろいろな神がいると言われています。
しかし当然のことですが、「神」と呼ばれたところで本当に神であるわけではありません。人間は人間に過ぎず、物は物に過ぎません。人間のすばらしい技術や業も、それがどんなにすばらしくても神であるわけではない。
「主よ、誰が神々の中であなたと同じでしょうか。誰があなたと同じように神々しく聖でしょうか、畏れられているでしょうか、讃美されているでしょうか、不思議を行うでしょうか。」
例えどんなに神々と呼ばれるものがたくさんあろうとも、聖書が証しする神さまは、ただおひとりです。聖なる、畏れるべき方。讃美されるべき方。ただおひとりの神さま。そのような方は、この方をおいて他にはいない。
使徒ヨハネは、手紙に書きました。「御父と共にあったが、私たちに現れたこの永遠の命を、私たちは見て、あなたがたに証しし、告げ知らせるのです。」永遠の命そのものである方、主イエス・キリスト、神のもとにおられる方、この方を見て、私はあなたたちに証しします、と言います。ヨハネが私たちに告げ知らせたキリストの福音は、ヨハネ自身が見た神の御許にある命の証しだ、と言います。つまり、何かの思弁とか抽象的な議論の末に「神はひとりだ」と言って見せているのではなく、私を生かす唯一無二の命そのものであるイエス・キリストと出会い、この方に生かされたところから生まれる証言なのです。
私たちも、今、この命の言葉そのものである方に招かれています。私たちに命を得させるキリストの御言葉が、私たちを神の愛の中へと招いている。神の愛の中で、私たちは、この方の他に神はいないと知ることができるのです。

2024年4月27日の聖句

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