2022年4月18日月曜日

2022年4月18日の聖句

夜も昼も、この家、この場所に目を向けていてください。ここは、あなたが、「そこに私の名を置く」と仰せになったところです。(王上8:29)
週の初めの日の夕方、弟子たちが集まって、家の戸に皆鍵をかけられていたとき、イエスが来て彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。(ヨハネ20:19)

今日の旧約聖書の御言葉は、イスラエルの王ソロモンの祈りの言葉です。何年も掛けてエリサレムに神殿を建築したソロモンが完成した神殿を神に奉献したときの祈りの言葉です。この神殿で、あるいはこの場所に向かって私たちが献げる祈りを、どうか聞いてください。この祈りの家にあなたの御目をお向けください、と祈っています。神殿は、神の民の信仰の中心でした。年に三回、エルサレムの神殿に来て神を礼拝することが義務づけられていたほどです。まさに祈りの家です。
ところが、主イエスはあるときおっしゃいました。「あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。・・・まことの礼拝をする者たちが、霊と真実をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。」今や、エルサレムでもなく、あるいは他の場所に造った神殿でもないところで神を礼拝する時が来る、と主イエスは言われます。それでは、一体どこで?
今日の新約聖書では、イースターの日の夕方、恐れて家に閉じこもっていた弟子たちのところへ主イエスが訪ねてくださった出来事が報告されています。主イエスが弟子たちと再び出会い、「あなたがたに平和があるように」と言って福音の言葉を聞かせてくださいました。この続きを読むと、ここにはトマスがおらず不信に陥りますが、一週間後の安息日、今度はトマスも一緒にいる時に主イエスがもう一度来てくださり、トマスも主イエスと出会うことができた。
私たちがキリストと出会い、キリストから福音を聞き、キリストを礼拝する場所。それは、信仰共同体の中です。今、神さまは特定の建物や場所をご自身の住まいとなさるのではなく、神を信じる民をご自身の住まいとなさる。神は、そこで私たちと出会ってくださいます。
教会は神の家です。教会は、建物のことではありません。神を信じる私たちの交わりです。礼拝の交わり、主イエスと出会いが起こる交わり。そこが教会であり、そこが神のお住まいです。神が私たちに目を向け、耳を傾けてくださっていることを信じ、私たちは神を礼拝し、神に祈りを捧げています。

2024年5月6日の聖句

災いの日に、主は私を仮庵に隠し、幕屋の隠れ場にかくまってくださる。(詩編27:5) 主は真実な方です。あなたがたを強め、悪しき者から守ってくださいます。(2テサロニケ3:3) 私たちの神さまは、災いの日に私たちをかくまい、私たちを守ってくださるお方です。どんな災いにも打ち勝ち、ど...