2022年5月14日土曜日

2022年5月14日の聖句

主の憐れみはいまだに終わりがなく、朝ごとに新しく、そしてあなたの誠実さは偉大です。(哀歌3:22~23)
ですから、私たちは疲れることがありません。たとえ私たちの外見は衰えていっても、内側は日々新しくされます。(2コリント4:16)

今日の旧約聖書の哀歌は、その名の通り哀しみの歌。戦争に敗れ、荒廃した祖国を思いつつ、神さまの御前に悲しみを注ぎ出す言葉です。今日は哀歌第3章ですが、その冒頭はこのように始まっています。

私は主の怒りの杖で苦しみを受けた者。
主は私を駆り立て
光ではなく闇の中を歩かせた。
そして、一日中幾度となく
  御手で私を責められた。

このように始まる言葉の中に、あの輝くような希望の言葉が出てきます。「主の憐れみはいまだに終わりがなく、朝ごとに新しく、そしてあなたの誠実さは偉大です。」これは、恐らく夜の歌なのではないでしょうか。必ず朝が来る。必ず希望の時が訪れる。そのことを神さまに期待しつつ待ち望んでいる。そういう言葉であるのだと思います。終わることのない主の憐れみ、必ず果たされる偉大な神の誠実さに賭けて、今この苦しみの時を忍耐している。必ず朝が来ることを信じているから、忍耐できるのです。
「ですから、私たちは疲れることがありません。」まさに、「ですから」です。神の憐れみの朝が来ることを信じているからこそ、疲れることなく、落胆せずに、希望を持って生きていくことができる。「たとえ私たちの外見は衰えていっても、内側は日々新しくされます。」ここでの「外見」は単に傍からの見た目という意味ではなくて、私たちのこの肉体のことであろうと思います。若く、美しく装うことはできるかも知れません。運動をして健康を保つこともできるでしょう。しかしどうしたってあらがえない肉体の衰えがある。そういう外から見えるものは必ず衰えるけれど、内側は日々新しくされる。この「内」というのも、単に精神力とか気力ということではないと思います。神の御前にある霊の話です。私たちはそもそも肉体も魂も霊も、滅びるべき存在です。しかし朽ち果てるべき私を、永遠なる神が覚え、御心に止めてくださった。私の霊を日々神が新しくしてくださる。主ご自身の憐れみによって。私たちの肉体はやがて滅びる。しかし、キリストは必ず私たちに復活の体を与え、手を取って起こしてくださるときがくる。主の憐れみによって。だから、私たちは今このときを忍耐して生きることができるのです。

2024年4月28日の聖句

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