2022年7月2日土曜日

2022年7月2日の聖句

私が暁の翼を駆って、海のかなたに住もうとも、あなたの手は私を導き、右の手は私を離さない。(詩編139:9~10)
イエスは言う:見よ、私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。(マタイ28:20)

暁の翼。朝日のことでしょう。イスラエルであれば、荒れ野の向こうの地の果てから差し込んでくる朝日。そんな荒れ野の向こうの海のそのまた向こう、海のかなたに私が住もうとも、と言います。私たちで言えば、まさしく海のかなたのそのまた向こうから差し込む朝日。あるいは、宇宙のかなたの太陽と言っても良いと思います。いずれにしても遙か遠く、たどり着くことのできないほど遠くの果て。例え私がそこまで逃れ、神さまから離れようとしたとしても、と聖書は言うのです。例えそのようなところに行こうとも、「あなたの手は私を導き、右の手は私を離さない。」
これが、私たちの信仰のすべてです。例え私が愚かにも神さまから離れていき、神さまを捨てようとしても、神さまは絶対に私を捨てないし、私から離れようとはなさらない。私がどんなに神さまを裏切り、神さまには入ってこられないと思うような場所に閉じこもったとしても、神さまはそこにもおられる。
この詩編第139編は、そのことを繰り返し繰り返し言います。「どこに行けば、あなたの霊から離れられよう。どこに逃れれば、御顔を避けられよう。天に登ろうとも、あなたはそこにおられ、陰府に身を横たえようとも、あなたはそこにおられます。」例え闇の中に身を潜めても、闇だって神さまがお造りになったものですから、神様ご自身の方が闇よりももっと深い。私が神さまから離れる事なんて、できやしない。
だから、神さまが私を離さない方だから、私のような者でもキリスト者でいられるのです。他の理由なんてない。神さまは、あなたを決して離しません。神さまのその手をあなたの上に置き、あなたを祝福することを決してお止めにはならないのです。
主イエス御自身が約束してくださったのです。「見よ、私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」私の不信仰の日にさえも、この約束は変わりません。どのようなときにも、キリストはあなたと共におられ、あなたを恵むことを諦めてしまうことは決してなさらないのです。

2024年5月3日の聖句

耳の聞こえない人を呪ってはならない。目の見えない人の前につまずく物を置いてはならない。あなたの神を畏れなさい。(レビ19:14) (イエスの言葉)あなたの父が慈しみ深いように、あなたがたも慈しみ深い者となりなさい。(ルカ6:36) 悪意を持ってわざと耳の聞こえない人を呪ったり、目...