2022年7月7日木曜日

2022年7月7日の聖句

主よ、あなたの御手によってあらゆる者を大いなる者、力ある者となさいます。(歴代誌上29:12)
イエスは子どもたちを引き寄せ、手を置いて祝福された。(マルコ10:16)

神さまの御手、主イエスさまの御手。主はその御手によって私たちを祝福し、大いなる者、力あるものとしてくださる、というのです。今日の新約聖書、マルコによる福音書が伝える子どもたちを祝福する主イエスさまのお姿は、本当に美しいお姿です。私が特に大好きなのが、「手を置いて祝福された」というこの「手」という言葉が、原文や英訳を見てみると複数形で書かれているということです。ですからもっと正確に訳せば「両手を置いて祝福された」ということになります。主イエスさまが子どもたちの頭の上に両手を置いて祝福してくださっている。想像するだけでも本当に美しく、このお姿そのものが「福音」と呼ぶにふさわしいと私は思います。
私たち神を信じる者は、誰もが神さまの子どもです。だからこそ、主イエスは「子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」とおっしゃったのです。神さまの子どもとして、神の国を受け入れ、喜び、神さまのものとして生きることが私たちにとって一番私らしいからです。一番自然なあり方だからです。私たちは神に愛されている神の子ども。そんな私たちの頭の上に、主イエスは両手を置いて祝福してくださいます。
「主よ、あなたの御手によってあらゆる者を大いなる者、力ある者となさいます。」ここには、神が「あらゆる者を」その御手によって大いなる者とし、力ある者としてくださる、と言っています。あらゆる者。主イエスさまの手は、誰に対しても隔たりなく伸ばされます。主イエスさまの手は私たちが思っているよりもずっと長くて、届かないところはないのです。あらゆる人を祝福するためにのばされる主イエスさまの御手として、私たちはキリストの祝福の使者として今日一日の業に遣わされていきます。

2024年5月3日の聖句

耳の聞こえない人を呪ってはならない。目の見えない人の前につまずく物を置いてはならない。あなたの神を畏れなさい。(レビ19:14) (イエスの言葉)あなたの父が慈しみ深いように、あなたがたも慈しみ深い者となりなさい。(ルカ6:36) 悪意を持ってわざと耳の聞こえない人を呪ったり、目...