2023年4月8日土曜日

2023年4月7日の聖句

味わえ、見よ。主がどんなに思いやりがあるかを。この方に信頼を置くものは幸いだ。(詩編34:9)
(犯罪人の一人の言葉)「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、私とともにパラダイスにいます。」(ルカ23:42~43)

十字架刑は古代ローマの極刑です。残酷な刑罰であり、同時に、さらし者にするという意味もあったのでしょう。十字架刑では、死刑囚の頭の上に罪状書きが打ち付けられていました。主イエスの罪状書きには「これはユダヤ人の王」と書かれていました。
それを見た人々がイエスを罵って言うのです。「他人を救ったのだ。神のメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」メシアというのは油を注がれた者という意味ですが、第一には王を意味します。神のメシアというのは、神に立てられた王を意味する。ピラトによる主イエスの裁判も、イエスが王か否かということが争点になっていました。結局主イエスはユダヤ人の王という嘲笑を受けながら十字架にかけられたのです。
まさにこれは「嘲笑」で、誰もイエスが王などとは思っていません。王は本来は強い軍勢を率いて国を守るのが役割です。国を守るために王が第一に守るのは、自分自身の安全です。王が安泰であることが国の安泰の徴です。しかし王として十字架にかけられた方は自分自身を救おうとはしなかった。それで、人々は王イエスを嘲りました。
主イエスの横で十字架にかけられていた犯罪人は「あなたが御国に入られるときには」と言っています。「御国に」と言っている。そこからすると、この人だけが主イエスが本当に王だと信じていた、ということではないでしょうか。私たちの王である方はおよそ王らしくないお姿であり、他の諸王のように自分を救おうとはなさらず、却ってご自身を差し出して私たちに憐れみを表してくださるお方です。
ご自分を王として受け入れ、救いを求める犯罪人に主イエスはおっしゃいます。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、私とともにパラダイスにいます。」パラダイス。楽園という意味です。エデンのようなところでしょうか。そこは、何よりも主なる神様と共にいることのできる場所です。主を完全に信頼し、主の御前に生きることを喜びとし、主の憐れみによって生かされる場所です。ですから、主イエスを神のメシア、私たちの王としてお迎えしたあの犯罪人は、十字架の上で既にパラダイスを生き始めていました。キリストはご自分の憐れみを求める者を決して捨てることのない、私たちの真の王でいてくださるのです。

2024年5月8日の聖句

(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...