2023年7月15日土曜日

2023年7月15日の聖句

神は、わたしの苦しみとわたしの骨折りを目に留められました。(創世記31:42)
(パウロの手紙)主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。(1コリント15:58)

「自分たちの苦労が決して無駄にならない」。なんとありがたい言葉でしょう!私たちは誰もが毎日苦労しています。人目につかず、人知れず、それぞれに負うべき重荷があり、苦労があり、生きるだけでもたいへんなことです。しかし、それらは決して無駄にならない。ただ、パウロは「主に結ばれているならば」と言います。単にどんな苦労にも意味があるというのではない。主に結ばれた苦労は無題にならない、と言っています。
それでは、主に結ばれるとは何を意味しているのか。ここはギリシア語で書かれた元の言葉では、単に「主の内に」と表現しています。主の内にある苦労は決して無駄にならない。私たちの生の営みは、主の内にあるのでしょうか、それとも外にあるのでしょうか。主イエスさまと無関係のところで生きているのでしょうか、それとも生活のあらゆる場面で主イエスさまを見上げて生きているのでしょうか。もしも私たちがキリストを仰ぎつつ毎日を生きているのだとしたら、そこにある苦労は主の内にあるのではないでしょうか。
キリストは私たちが毎日を生きていくために何をしてくださったのか?主イエスはそのためにこそ、私たちの罪の重荷を負って十字架にかけられたのではないでしょうか。私たちの毎日の生活をご自分の内に取り戻すために、主イエスはご自身のすべてを献げて十字架の重荷を負ってくださったのではないでしょうか。
主の内にある苦労。それは、主キリストが私のためにしてくださったように、私もまた他者のために重荷を負うというところにいちばんはっきりと現れます。その苦労は、例えそれが無駄に見えるようなことがあったとしても、骨折り損としか見えなかったとしても、決して無駄にはならない。キリストにあって!
「神は、わたしの苦しみとわたしの骨折りを目に留められました」と聖書は言います。神が知っていてくださいます。私たちのすべてを。私たちの人知れない、誰も観ていないところでするすべての苦労を、神ご自身が知り、御心に留めてくださっている。それがいちばん大切なことではないでしょうか。

2024年5月9日の聖句

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