2023年7月29日土曜日

2023年7月29日の聖句

苦難の日に私は主を求める。
私の手は夜も主に向かって伸ばされ、止むことはない。(詩編77:3)
イエスは弟子たちに言われた。「私の魂は死ぬばかりに悲しんでいる。ここに留まって私と一緒に目を覚ましていなさい。」そして少し先に行き、ひれ伏して祈られた。(マタイ26:38~39)

旧約聖書の詩編は、祈りです。日本の昔から詩歌は花鳥風月を歌い上げたり、恋心を詠んだりしていますが、聖書の詩編は祈りです。この詩編第77編は、その中でも苦難の中にある祈り、しかも「夜の祈り」です。夜、神に向かって手を伸ばして祈る。慰められることを拒むほどの深い苦しみの中、ただ神様に向かって祈り、呻き、霊の萎え果てるほどに思いみだれている。そのような祈りの言葉です。
詩編を読むときに私たちが知るのは、祈りというのは、形の整った、行儀の良いものではないということです。散り散りになるような心を吐露した言葉、神に向かって喘ぐような呻きの言葉です。
この詩編は20節でこのように言います。「あなたの道は海の中に、あなたの行く手は大水の中にある。その足跡を知る者はいない。」モーセに導かれた出エジプトの民が通った海の中の道を回顧しています。そのように道を拓いてくださった神の導きを信じつつ、神様に期待する言葉でこの詩編が閉じられていく。神様の御業を思い起こす。そういう祈りの心がここに現れています。
苦難は、辛くて厳しいものです。この詩編作者に、具体的に何があったのかは分かりません。しかし却ってそのお陰で、この祈りは私たち誰にでも当てはまるとも言えます。私たちも苦難の中で神を求める。慰めを拒むほどの思いをも抱く。しかしその中で神の救いの御業を思い、神を求める。苦しみは神を仰ぐ中で、私たちの信仰をきよめ、神を求める心を純粋なものに練りきよめるのです。
主イエスさまは私たちの誰よりも深い嘆きと悲しみをご存じです。死ぬばかりの悲しみを魂の奥底から知っておられます。私たちに先立って祈っていてくださるお方がおられる。私たちの苦しみの日に、その事実を思い起こしましょう。

2024年5月9日の聖句

主は彼らに喜びを与えられた。(エズラ6:22) いつも喜んでいなさい。(1テサロニケ5:16) 復活の主日から40日目の今日は、主の昇天を祝う日として覚えられています。主イエス・キリストは、弟子たちの見ている前で天に昇って行かれたと聖書に書かれています。キリストは天に昇り、神の右...