2023年8月12日土曜日

2023年8月12日の聖句

私の心は主にあって喜びます。(サムエル上2:1)
あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。(ルカ10:20)

今日の新約聖書の御言葉は、伝道旅行から帰ってきた72人の弟子たちに対する主イエスのお言葉です。彼らは旅の成果を報告して言いました。「主よ、お名前を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」嬉しかったと思います。自分たちの力ではとても敵わないような戦いに勝つことができた。悪霊に打ち勝ち、主に託された使命に生きることができた。喜んでその成果をご報告したのでしょう。ところが、主イエスはおっしゃるのです。悪霊が服従することを喜ぶな、むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい、と。そう言われて、弟子たちはどんな気持ちになったのでしょうか・・・?
今日の旧約聖書の御言葉には「私の心は主にあって喜びます」とあります。これをヒントに考えると、もしかしたら72人の弟子たちの喜びは主にある喜びではなく、自分たちの成果や成功への喜びにすり替わっていたのかも知れません。もちろん、主イエスのために仕えて旅をしてきた。キリストを信じて歩んできた。ところがいつの間にか、うまく悪霊を制圧出来た自分への誇りにすり替わってしまったのかも知れません。その象徴が「お名前を使うと」という彼らの言葉です。主イエスの名前を「使う」というのは、考えてみればかなり僭越な言葉です。しかし、恐れなく「キリストの名を使う」と言うことができてしまったところに、音も無く忍び寄る傲慢の心に捕らわれている実態が見えてきているのではないでしょうか。そして、それは自分のこととして深く心当たりのある気持ちです。
「私は主にあって喜びます」とは、私を喜ぶのではなく、主を喜ぶということに違いありません。自分を見つめて誇ったり卑屈になったりするのではなく、その目を主に向けて、主を喜ぶ。その喜びは、私の名もまた天に書き記されているという喜びです。このような私の名をも主は天に書き記してくださっている。その事実にただただ驚くしかありません。途方もないキリストの憐れみを、ただ感謝し喜ぶほかありません。私に何ができるか、どういう成果を上げてきたのか、あるいは何ができずどこで失敗したのかということに関わらず、神が私の名を天に書き記してくださっています。私たちはその事実を思い、神に感謝し、キリストにあって喜ぶ。それが私たちの信仰生活ではないでしょうか。

2024年5月8日の聖句

(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...