2023年8月16日水曜日

2023年8月16日の聖句

私たちは、先祖が皆そうであったように、あなたの前では寄留者であり、滞在者にすぎません。私たちの地上での生涯は影のようなもので、希望などありません。(歴代誌上29:15)
だから、私たちは落胆しません。私たちの外なる人が朽ちるとしても、私たちの内なる人は日々新たにされていきます。(2コリント4:16)

「私たちは・・・あなたの前では寄留者」と言います。私たちは今自分たちの場に根を張って生きているようであっても、しかし神さまの御前では、言葉を換えれば本質的には、寄留者、宿り人にすぎません。ほんの一時、この場所に滞在している旅人です。アブラハムも、イサクも、ヤコブも、ヨセフも、モーセもヨシュアも、皆旅人でした。ダビデは命からがら逃げ惑う日々を過ごしました。預言者たちもそうです。新約の時代も使徒たちも旅人でした。そして、究極の旅人は、主イエス・キリストです。最上の定住地であるはずの天から降ってきて私たちの間に宿り、その地上での生涯を旅路の中でお過ごしになりました。旅をして、私たちのところに来てくださったのです。
信仰は、旅です。寄留者、滞在者として、私たちはこの世を生きています。地上の生涯は影のようなものです。この世のものを希望とはしません。それは、どんなに輝き、きらびやかに見えても、いずれには朽ちてなくなってしまうからです。だから、私たちはそういうものがなくなっても落胆しません。それどころか、主イエス・キリストにあって、私たちの地上の生涯のこの命が終わるときにも、落胆しません。この旅路は地上の事柄のみに終始しているのではなく、天の故郷を目指す旅路だからです。外なる人が滅びても、私たちの内なる人は日々新たにされる。キリストが新たにしてくださる。私たちの将来には、復活という決して朽ちることのない究極の希望があるのです。だから、大丈夫。どんなときにも大丈夫です。
私たちの将来には究極の光があります。私たちがまだ見もせず、想像もしていなかった、永遠のすばらしさを放つ神の救いが私たちを待っている。主イエス・キリストが、その両手を広げて私たちを待っていてくださる。だから、私たちはこの地上では寄留者にすぎないと誇りを持って告白します。

2024年5月8日の聖句

(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...