2023年8月28日月曜日

2023年8月28日の聖句

人を正しく治める者、神を畏れて治める者は、
太陽の輝き昇る朝の光。(サムエル下23:3~4)
(イエスの言葉)私は柔和で心のへりくだった者だから、私の軛を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に安らぎが得られる。(マタイ11:29)

私は柔和で心のへりくだった者。主イエスのこのお言葉は、私たちにすばらしい平安を与えます。福音そのものです。主イエスの柔和が私たちを救うのですから。主イエスさまが柔和なお方だから、私たちは救われました。怒りを旨とするお方だったら、どうして私たちの救いが実現しうるでしょうか。主イエスは柔和なお方でいてくださいます。しかも心のへりくだる方でいてくださいます。そうであるからこそ、私たちはキリストの柔和によって、へりくだってくださったキリストのお陰で救われたのです。
そこで、と言って主イエスはご自身の軛を負えとお命じになります。キリストの軛。少し前に、絆という言葉が一種のブームになりました。絆はもともとは動物をつなぎ止めるための縄のようなものが語源なのだそうです。その話を聞いたとき、軛とよく似ているなと思いました。軛は家畜に仕事をさせるために二頭をつなぐ棒のようなものです。絆も軛も、どちらも縛り付けるものです。不自由にします。ところがそこに、本来はなかった積極的な意味が見出されています。
ただ、「絆」は単なるブームに終わりました。美しい言葉で飾っても、結局は人のために何かをしたり、自分のしたいことよりも人とのつながりを優先する窮屈さに疲れてしまったのでしょう。コロナもあって、他人との適当な距離を保つことが優先されました。それでは「軛」はどうなのでしょうか。キリストがお命じになった軛は、私たちの生き方を変える言葉になっているのでしょうか。
キリストは、柔和な方です。その柔和な方が私たちにご自分の軛を負えと命じておられます。私たちがキリストと共に柔和に生きることへの招きです。キリストはそのためにへりくだってくださり、神の子としての自由をお捨てになりました。私たちに縛られることを受け入れてくださいました。愛と言えばとてもきれいな言葉になりますが、共に生きることには軛と呼ばなければ表現出来ないものがあるし、それこそキリストが負ってくださった重荷です。しかしそれは柔和なキリストの招きであり、私たちを解放する自由の喜びへの招きなのです。

2024年5月8日の聖句

(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...