2023年9月11日月曜日

2023年9月11日の聖句

主のもとに逃れるほうが、人間に頼るよりもよい。(詩編119:8)
(パウロの言葉)私の最初の弁明の際には、誰も助けてくれず、皆私を見捨てました。どうか、そのことで彼らが責められることがありませんように。しかし、主はそばにいて、私を強めてくださいました。(2テモテ4:16~17)

今日の御言葉は、とても難しいなと思います。
書かれている事柄は、使徒パウロのことです。彼は福音宣教にわが身を献げて、神様に仕えました。そのために何度も迫害され、当局に捕らえられ、最後には命も落としました。そんなパウロの最初の弁明のときのこと。彼は「誰も助けてくれず、皆私を見捨てました」と述懐します。しかしそんなときにも主は側にいて助けてくださった。パウロはそのように言います。
今日の旧約聖書にはこのようにあります。「主のもとに逃れるほうが、人間に頼るよりもよい。」まさに、これがパウロの信仰だったのだと思います。主に頼り、神様に助けて頂いて、果たすべき使命に生きぬいた。ただ、自分がパウロと同じ立場だったらと思うと、こういう聖書の言葉を彼とは違う解釈をしてしまうのではないかと思います。「主のもとに逃れるほうが、人間に頼るよりもよい。」私だったら、それだけではなく更に他の人間を見下げたり、心の中で裁いてしまったりする口実になってしまうのではないかと思います。どうせ人間なんてこの程度のものだと、他の人を悪く考える自分を正当化する材料にしてしまう。そういうところが、今日の御言葉はとても難しいと思います。
しかしパウロはそのようには考えませんでした。自分を助けてくれず、見捨ててしまった人について、パウロは言います。「どうか、そのことで彼らが責められることがありませんように。」自分を見捨てて逃げてしまった人たちのために、パウロは祈ります。彼らがその責めを負うことがありませんように、と。まるで主イエスさまのようだと思います。すごい信仰です。私もこういう信仰者になりたいと、本当に思います。
パウロは、主イエス・キリストの赦しの愛が骨身に染みていたに違いありません。私は罪人の頭だと本当に実感していたのでしょう。だからこそ、他の人の罪を殊更に責めなかった。共にキリストの御前に帰ろうと訴えたのではないでしょうか。この招きは、私たちへの招きです。

2024年5月8日の聖句

(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...