2023年9月17日日曜日

2023年9月16日の聖句

主よ、あなたは私の魂の訴えを取り上げ、命を贖ってくださいました。(哀歌3:58)
キリストはあなたがたのために、その足跡に続くようにと、模範を残されました。罵られても、罵り返さず、苦しめられても脅すことをせず、正しく裁かれる方に委ねておられました。(1ペトロ2:21,23)

主イエス・キリストは、罵られても罵り返さず、苦しめられても脅すことをなさらない。私たちのための愛を貫いてくださいました。今日、この一日も、私たちはキリストの愛の中で始まり、キリストの憐れみの中で歩んでいきます。私たちは主イエス・キリストの慈しみの中で、この一日を歩んでいきます。
今日の旧約聖書の御言葉は、哀歌に収められた言葉です。哀歌は、イスラエルの国が戦争で滅びたときの嘆きの言葉、悲しみの祈りが綴られています。何ゆえ、私たちは滅んでしまったのか。あんなに人に溢れ、賑やかだったこの都がどうして瓦礫の山になってしまったのか。私たちは神に背き、間違った歩みを重ねてきてしまった。そうやって深く嘆く言葉が哀歌に収められています。この哀歌の言葉は、何も古代イスラエルで同じ体験をした人たちだけに共有されるものではなく、悲しみや嘆きを味わう私たちすべてのもののための言葉であると思います。
「主よ、あなたは私の魂の訴えを取り上げ、命を贖ってくださいました」というのは、悲しみや嘆きの中で神様を求める私たちすべてのものの祈りではないでしょうか。そして、主イエス・キリストが「罵られても、罵り返さず、苦しめられても脅すことをせず」にいてくださったのは、自分の罪を嘆いて悲しんで泣くしかない私たちの現実を、主イエスが共に負ってくださるという宣言ではないかと思います。主イエスがお受けになった罵りや苦しみは、私たちの口が吐き出した罵りです。私たちが浴びせた苦しみです。それを享受し、主イエス・キリストはなお私たちを愛し抜くことを選んでくださった。嘆き、悲しむしかない私たちをその罪から救い出すために。
今日一日、主イエス・キリストを見上げ、キリストを求めて歩んでいきましょう。主の恵みと祝福がありますように。

2024年5月8日の聖句

(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...