2023年10月1日日曜日

2023年10月1日の聖句

10月の聖句:
御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの人であってはなりません。(ヤコブ1:22)

今週の聖句:
すべての目はあなたを待ち望んでいます。あなたは、時にかなって彼らに食物を与えられます。(詩編145:15)

今日の聖句:
私こそ主、この地に慈しみと公正と正義を行う者。(エレミヤ9:23)
義の実を結ばせる種は、平和をつくる人々のために平和のうちに蒔かれるのです。(ヤコブ3:18)

「私こそ主」と、今日の旧約聖書で神様はおっしゃいます。
旧約聖書で「主(しゅ)」と翻訳される言葉は、主なところでは二つあります。一つは、「主(あるじ)」という意味の一般名詞。もう一つは、神様のお名前を表す固有名詞。古来、神様のお名前を表す言葉が出て来るとそれを発音することを避け「私の主」と読み替えていました。そういう伝統を引き継いで、日本語の聖書でも神様のお名前は「主(しゅ)」と翻訳されています。
「私こそ主」という今日の御言葉は、神様のお名前を意味する「主」です。神様が御自らのお名前を名乗っておられる。私は私として、この地に慈しみと公正と正義を行うのだと宣言しておられます。ご自分の御名にかけて、主なる神様は慈しみ、公正、正義をこの地にもたらしてくださる。
現代はいろいろなものが相対的になって、混乱が深まっている時代だと思います。何が正しいのか、何が悪なのか、はっきりとした線引きがとても難しい。確かに物事にはいろいろな面があるので、一方から見た正義が他方からは悪だということは当然なのかも知れません。しかし、私たちが忘れがちになってしまうのは、神様からご覧になってどうなのか、ということではないでしょうか。神様の慈しみに適っているのか、神様の公正適っているのか、神様の正義に適っているのか。
私たちの慈しみや公正や正義は独り善がりになりがちです。私たちの思う平和は人を犠牲にした上での平和でしかないかもしれない。だからこそ、「私こそ主」とおっしゃるお方、他ならぬイエス・キリストの父である方を信頼し、この方がキリストを通して示してくださった平和の道に従っていきたいと願います。

2024年5月9日の聖句

主は彼らに喜びを与えられた。(エズラ6:22) いつも喜んでいなさい。(1テサロニケ5:16) 復活の主日から40日目の今日は、主の昇天を祝う日として覚えられています。主イエス・キリストは、弟子たちの見ている前で天に昇って行かれたと聖書に書かれています。キリストは天に昇り、神の右...