2023年10月20日金曜日

2023年10月20日の聖句

主は、人が自分の友と語るように、顔と顔とを合わせてモーセと語れた。(出エジプト記33:11)
(イエスの言葉)私はもはや、あなたがを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。私はあなたがたを友と呼んだ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。(ヨハネ15:15)

主イエスさまは私たちのことをご自分の友と呼んでくださいます。すごいことです。今、パソコンでこの文章を打っていたら、「友」のところが「供」と変換されていました。「主イエス・キリストの供」。確かに、その方が文章としては自然なのかも知れません。主イエスさまにお供させて頂いている従者。本来はそういう関係でしかないはずなのに、主イエスさまは私たちをお供ではなく、ご自分の友、友人、友だちと呼んでくださっているのです。なんということでしょうか。
私たちはキリストの友だちです。友と供とも違いは、一体どこにあるのか。「僕は主人のしていることを知らない」と主イエスは言われます。主人が指示したことを、僕はただその通りにする。主人が何を思い、どうしてそうするのかということを僕は知る必要がありません。ところが私たちはキリストの友だちです。キリストがそう呼んでくださった。友だちである私たちに、主イエスさまは、父から聞いたことをすべて伝えたとおっしゃいました。私たちはキリストから聞いて、父なる神様の御心を知っている。包み隠さず教えてくださった。それはあなたたちが私の友だからだ、と主イエスは言われます。
父なる神様の御心。それは、ご自分の独り子をお与えになるほどに世を愛してくださった御心です。御子を十字架にかけた私たちのために和解の手を伸ばしてくださった御心です。私たちはキリストに教えていただいて、神様の御心を知っている。そうである以上、私たちはキリストの友に他ならない。
ですから、今日、キリストと父なる神様を信頼して過ごしましょう。私たちを友だちと呼んでくださる主イエスさまがいてくださいます。

2024年5月9日の聖句

主は彼らに喜びを与えられた。(エズラ6:22) いつも喜んでいなさい。(1テサロニケ5:16) 復活の主日から40日目の今日は、主の昇天を祝う日として覚えられています。主イエス・キリストは、弟子たちの見ている前で天に昇って行かれたと聖書に書かれています。キリストは天に昇り、神の右...