2023年10月19日木曜日

2023年10月19日の聖句

(主の言葉)私に敬意を払うものに、私は同じく敬意を払う。しかし、私を侮るものは侮られる。(サムエル上2:30)
あなたは神の恵みの豊かさ、根気強さ、忍耐を見誤っているのか。神の恵みがあなたを回心へ導いているのを分かっていないのか。(ローマ2:4)

親しき仲にも礼儀ありという言葉がありますが、私たちの神様への関係はどうなのでしょうか。神様には恵みが豊かに満ち、根気強く、忍耐をもって私たちを扱ってくださいます。そうでなかったとしたら、どうでしょうか。私たちは生きていかれるのか?神様が罪を厳しく処罰し、過ちをお赦しにならない方だとしたら、私たちにはどうすることもできません。神様がもしもご自分の造った命を顧みないお方だとしたら、私たちには生きる術がありいません。しかし神さまは恵み豊かな方ですし、根気強く私たちを導き、忍耐を持って私たちの罪を忍んでくださいます。だから、私は生きられる。
その神さまの恵みを、根気を、忍耐を見誤って神様への礼儀を欠き、当然のように考えるとしたら、それはとても大きな罪であると言わねばならないのだと思います。「私に敬意を払うものに、私は同じく敬意を払う。しかし、私を侮るものは侮られる」と主ご自身が言われます。
私たちは人間にはペコペコして礼を尽くすように心がけますが、神様に対しては平気で失礼な態度をとってしまうことがあるのではないでしょうか。聖なる神様の御前に居住まいを正し、礼をもってへりくだることは、具体的な信仰の振る舞いとして大事なことであるのではないでしょうか。どんなに偉い人間だって及ばず、どんなに脅威的な権力も強固なシステムも決して及ぶことのない、偉大で聖なる神様の御前に、私たちは生きているのです。そのことをわきまえる一日を、主の御前に始めていきたいと願います。

2024年5月9日の聖句

主は彼らに喜びを与えられた。(エズラ6:22) いつも喜んでいなさい。(1テサロニケ5:16) 復活の主日から40日目の今日は、主の昇天を祝う日として覚えられています。主イエス・キリストは、弟子たちの見ている前で天に昇って行かれたと聖書に書かれています。キリストは天に昇り、神の右...