あなたは私の命を死から、目を涙から、足をつまずきから助け出してくださった。(詩編116:8)
ここに、十二年この方、出血が止まらない女がいた。医者に全財産を使い果たしたが、誰にも治してもらえなかった。この女が後ろから近寄って、イエスの衣の裾に触れると、たちまち出血が止まった。(ルカ8:43~44)
十二年間出血が止まらない病にかかっていた女性。彼女の病は「穢れ」とされていました。つまり、宗教的なタブーとされ、礼拝に行くこともできず、彼女が触れたものも「穢れ」とされていました。彼女は、病による肉体的な苦痛だけでなく、精神的にも、社会的にも、とても苦しい立場にありました。さらに、彼女は医者にかかって全財産を使い果たしました。12年の間、誰が自分を癒やしてくれるのか、さまよい続けました。しかしお金が消えていくだけで、誰も彼女を癒やすことはできませんでした。
そんな一人の人が主イエスに向かって手を伸ばします。主の衣の裾にでも触れれば癒やして頂けると思ったのです。そして事実、主の力によって彼女は癒やされました。出血が止まったのです。
ところが主イエスはそれで終わらせませんでした。主は立ち止まり、一体誰がご自分に触れたのかを探し始めた。彼女は名乗りを上げ、恐る恐るすべてを話しました。すると、主イエスは彼女に言ってくださった。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」
主イエスとの出会いは、本当に「あなたは私の命を死から、目を涙から、足をつまずきから助け出してくださった」という出来事です。それは肉体が癒やされること以上の意味を持つ出会いです。主イエスにただ後ろから一方的に触れるのではなく、主イエスと向き合い、思いの丈を祈り、主イエスの御言葉を待ち望む。そうやって主と出会うことこそ、本当に私たちに必要な出会いなのです。
ここに、十二年この方、出血が止まらない女がいた。医者に全財産を使い果たしたが、誰にも治してもらえなかった。この女が後ろから近寄って、イエスの衣の裾に触れると、たちまち出血が止まった。(ルカ8:43~44)
十二年間出血が止まらない病にかかっていた女性。彼女の病は「穢れ」とされていました。つまり、宗教的なタブーとされ、礼拝に行くこともできず、彼女が触れたものも「穢れ」とされていました。彼女は、病による肉体的な苦痛だけでなく、精神的にも、社会的にも、とても苦しい立場にありました。さらに、彼女は医者にかかって全財産を使い果たしました。12年の間、誰が自分を癒やしてくれるのか、さまよい続けました。しかしお金が消えていくだけで、誰も彼女を癒やすことはできませんでした。
そんな一人の人が主イエスに向かって手を伸ばします。主の衣の裾にでも触れれば癒やして頂けると思ったのです。そして事実、主の力によって彼女は癒やされました。出血が止まったのです。
ところが主イエスはそれで終わらせませんでした。主は立ち止まり、一体誰がご自分に触れたのかを探し始めた。彼女は名乗りを上げ、恐る恐るすべてを話しました。すると、主イエスは彼女に言ってくださった。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」
主イエスとの出会いは、本当に「あなたは私の命を死から、目を涙から、足をつまずきから助け出してくださった」という出来事です。それは肉体が癒やされること以上の意味を持つ出会いです。主イエスにただ後ろから一方的に触れるのではなく、主イエスと向き合い、思いの丈を祈り、主イエスの御言葉を待ち望む。そうやって主と出会うことこそ、本当に私たちに必要な出会いなのです。