神が地のしえたげられた者を救うために
裁きに立たれたとき
地は恐れて、沈黙した。(詩編76:9~10)
まず、福音がすべての民族に宣べ伝えられねばならない。(マルコ13:10)
神は地の虐げられた人を救うために裁きに立ってくださるお方です。これは、神さまがこの世界を何のためにお造りになったのかということを示す言葉です。すなわち、神さまはこの世界を悪や虐げ、搾取や暴力に支配させるためにお造りになったのではない、ということです。神さまは愛と慈しみを実現するためにこの世界をお造りになりました。「極めて良い」と言って祝福するために、神さまは天と地とそこにあるすべてのものをお造りになったのです。
強い者が弱い者を虐げ、富んでいる者が豊かさを独占し、暴力によって相手に言うことを聞かせ、他人のものを搾取することで自分の良くを満たすなら、それは神さまの創造の御心を踏みにじっていると言わねばならないのではないでしょうか。この世界の「現実」は、そうではないのかもしれません。力や豊かさが幅をきかせているかもしれない。しかし、「現実」がそうであるということと、それが神の義に適っているかどうかは別問題です。私たちは何にしたがって生きるのでしょうか。
福音というのは、神の国と神の義が実現することです。神さまの御心がこの地になることが福音です。神の国は近づいたと主イエスは宣言なさいました。この宣言を聞いた私たちには、聞いた者としての責任があるのではないでしょうか。ほんの僅かにでも神の義に従う生き方をさせてくださいと祈ります。
裁きに立たれたとき
地は恐れて、沈黙した。(詩編76:9~10)
まず、福音がすべての民族に宣べ伝えられねばならない。(マルコ13:10)
神は地の虐げられた人を救うために裁きに立ってくださるお方です。これは、神さまがこの世界を何のためにお造りになったのかということを示す言葉です。すなわち、神さまはこの世界を悪や虐げ、搾取や暴力に支配させるためにお造りになったのではない、ということです。神さまは愛と慈しみを実現するためにこの世界をお造りになりました。「極めて良い」と言って祝福するために、神さまは天と地とそこにあるすべてのものをお造りになったのです。
強い者が弱い者を虐げ、富んでいる者が豊かさを独占し、暴力によって相手に言うことを聞かせ、他人のものを搾取することで自分の良くを満たすなら、それは神さまの創造の御心を踏みにじっていると言わねばならないのではないでしょうか。この世界の「現実」は、そうではないのかもしれません。力や豊かさが幅をきかせているかもしれない。しかし、「現実」がそうであるということと、それが神の義に適っているかどうかは別問題です。私たちは何にしたがって生きるのでしょうか。
福音というのは、神の国と神の義が実現することです。神さまの御心がこの地になることが福音です。神の国は近づいたと主イエスは宣言なさいました。この宣言を聞いた私たちには、聞いた者としての責任があるのではないでしょうか。ほんの僅かにでも神の義に従う生き方をさせてくださいと祈ります。