2026年5月11日月曜日

2026年5月11日の聖句

主のように聖なる方はなく
あなたに並ぶ者はいません。(サムエル上2:2)
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな
全能者である神、主。
かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」(黙示録4:8)

今日の二つの御言葉は、どちらも「聖」とあります。神さまは聖なるお方。
この「聖」という言葉について、ある聖書学者がこのように言っています。「『聖』という概念はイスラエル宗教において最も深く、最も謎に満ち、最もすばらしく、最も厳しいものを意味する。」謎に満ちている、と言います。「聖」は神御自身の御性質であって、私たちには捉えきることができない。私たちにとっては謎に他ならない。なぜなら、神は聖なるお方であり、「あなたに並ぶ者はいません」と言われるべきお方だからです。私たちが他の何かしらから類推して「神の聖なることとはこういうことだ」と、自分の概念に押し込めてしまうことができないのです。神の聖でいらっしゃることは私たちにとっては謎であり、畏るべきことです。
旧約聖書のレビ記を読むと、とても細かい祭儀の規定があります。そこでは徹底して私たちの「汚れ」が語られています。現代の感覚で読むと理不尽なほどに徹底しています。普通に生活していれば必ず汚れてしまう。しかしレビ記の徹底した「汚れへの感覚」は、逆説的に、神の聖でいらっしゃることを語ります。私たちは、自分の汚れを汚れと指摘されることによってでしか聖が分からないのです。
そんな私たちにできるのは、聖なる神を賛美することだけです。
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな
全能者である神、主。
かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」
私たちも心合わせて神を賛美し、聖なるお方を礼拝する。私たちの汚れた唇に聖なる神への賛美が授けられます。ここに私たち人間のあるべき姿があるのではないでしょうか。

2026年5月11日の聖句

主のように聖なる方はなく あなたに並ぶ者はいません。(サムエル上2:2) 「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな 全能者である神、主。 かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」(黙示録4:8) 今日の二つの御言葉は、どちらも「聖」とあります。神さまは聖な...