強く、雄々しくあれと、私はあなたに命じたではないか。(ヨシュア1:9)
(パウロの言葉)私たちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。神は、これほど大きな死の危険から私たちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるに違いないと、私たちは神に望みを置いています。(2コリント1:9~10)
今日の旧約の御言葉で主なる神さまは「強く、雄々しくあれと、私はあなたに命じたではないか」とおっしゃっていますが、聖書を開いて前後を読んでみると、その根拠がちゃんと語られています。「私がモーセと共にいたように、私はあなたと共にいる。あなたを見放すことはなく、あなたを見捨てることもない。」「あなたがどこに行っても、あなたの神、主があなたと共にいるからだ。」私たちが強く、雄々しく生きることができる根拠、それは神が共にいてくださることです。神が私たちを見放すことも、見捨てることもなさらないことです。例え私たちがどこに行っても、主なる神さまは共にいてくださる。だから、私たちは強く、雄々しく生きることができる。
つまり、私たちの生き方の根拠は神さまです。神さまがどのようなお方でいらっしゃるのかという事実が私たちの生きる方向性を決めるのです。
このお方は、十字架にかけられたイエス・キリストを死者の中から復活させられたお方です。そうであるからこそ、使徒パウロは言うことができました。「神は、これほど大きな死の危険から私たちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるに違いないと、私たちは神に望みを置いています。」キリストの十字架と復活という事実がパウロの生き方を定め、パウロに希望を与えたのです。
同じ神が私たちと共にいてくださいます。このお方は私たちを見捨てることも見放すこともなさらない。キリストを死者の中から引き上げられた平和の神ご自身が私たちの神でいてくださる。この事実が私たちの生き方を定めます。
(パウロの言葉)私たちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。神は、これほど大きな死の危険から私たちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるに違いないと、私たちは神に望みを置いています。(2コリント1:9~10)
今日の旧約の御言葉で主なる神さまは「強く、雄々しくあれと、私はあなたに命じたではないか」とおっしゃっていますが、聖書を開いて前後を読んでみると、その根拠がちゃんと語られています。「私がモーセと共にいたように、私はあなたと共にいる。あなたを見放すことはなく、あなたを見捨てることもない。」「あなたがどこに行っても、あなたの神、主があなたと共にいるからだ。」私たちが強く、雄々しく生きることができる根拠、それは神が共にいてくださることです。神が私たちを見放すことも、見捨てることもなさらないことです。例え私たちがどこに行っても、主なる神さまは共にいてくださる。だから、私たちは強く、雄々しく生きることができる。
つまり、私たちの生き方の根拠は神さまです。神さまがどのようなお方でいらっしゃるのかという事実が私たちの生きる方向性を決めるのです。
このお方は、十字架にかけられたイエス・キリストを死者の中から復活させられたお方です。そうであるからこそ、使徒パウロは言うことができました。「神は、これほど大きな死の危険から私たちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるに違いないと、私たちは神に望みを置いています。」キリストの十字架と復活という事実がパウロの生き方を定め、パウロに希望を与えたのです。
同じ神が私たちと共にいてくださいます。このお方は私たちを見捨てることも見放すこともなさらない。キリストを死者の中から引き上げられた平和の神ご自身が私たちの神でいてくださる。この事実が私たちの生き方を定めます。