救いは主を畏れる者に近く
栄光は私たちの地に住む。
慈しみとまことは出会い
義と平和が口づけする。(詩編85:10~11)
光の結ぶ実は、あらゆる善と義と真理との内にある。(エフェソ5:9)
今日の旧約にも出てきますが、旧約聖書が書かれたヘブライ語にはシャロームという言葉があります。日本語では、通常は平和とか平安とか、そのように翻訳されます。深い含蓄に満ちた、すばらしい言葉です。今日の御言葉は私たちにシャロームのすばらしいビジョンを描いています。
栄光は私たちの地に住む。
慈しみとまことは出会い
義と平和が口づけする。(詩編85:10~11)
光の結ぶ実は、あらゆる善と義と真理との内にある。(エフェソ5:9)
今日の旧約にも出てきますが、旧約聖書が書かれたヘブライ語にはシャロームという言葉があります。日本語では、通常は平和とか平安とか、そのように翻訳されます。深い含蓄に満ちた、すばらしい言葉です。今日の御言葉は私たちにシャロームのすばらしいビジョンを描いています。
「救いは主を畏れる者に近く、栄光は私たちの地に住む。慈しみとまことは出会い、義と平和が口づけする。」慈しみとまことが出会う。慈しみだけなら、もしかしたら「なあなあ」で済ませてしまうこともあるかもしれません。まことだけなら、もしかしたら冷たすぎてしまうこともあるかもしれません。しかし神のシャロームにおいては、慈しみとまことが出会います。両者が共にある。慈しみに満ちたまことであり、まことを貫いた慈しみです。そしてそのシャロームは正義と口づけするシャロームです。神さまの正義、それは弱い者を犠牲にしません。声なき者を見て見ぬ振りしません。一部の人にとってだけ都合の好い正義ではなく、誰かをのけ者にして得られる平和ではない。神の前では義と平和が口づけをする。
このシャロームは、主イエス・キリストが体現したものです。だからこそ、キリストにおいて救いは私たちに近くなった。主イエスが私たちのところへ来てくださったから。このお方こそ私たちの平和、私たちの平安。このお方こそ私たちの救い。私たちはキリストをほめたたえます。私たちはキリストの光の内に、今日の歩みへ送り出されています。