不正に得た宝は役に立たず、正義は人を死から救い出す。(箴言10:2)
キリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより価なしに義とされるのです。(ローマ3:24)
今日は10月31日、マルティン・ルターの教会改革の運動が始まったことを記念する日です。1517年10月31日にルターが公開した当時の教会への質問状では、このようなことを言っています。
1.私たちの主であり師であるイエス・キリストが、「悔い改めよ・・・・・・」と言われたとき、彼は信ずる者の全生涯が悔い改めであることを欲したもうたのである。
ルターは、神様の御前で真実に悔い改め、私たちの生き方が新しくなることを第一のこととしました。神さまは私たちをこれまでの生き方の功績や、ましてやお金の問題で救ったり滅ぼしたりするのではない。全生涯の、日ごとの悔い改めこそが求められている、とルターは言います。更に続けてこれを読んでいくと、このような言葉も出てきます。
37.真実のキリスト者ならだれでも、生きている者も死んでいる者も、贖宥の文書がなくても神から彼に与えられたものである、キリストと教会とのすべての宝にあずかっているのである。
ここでの「贖宥の文書」というのは、いわゆる「免罪符」として知られている当時の教会が発行していたお札です。罪の赦しを確約するお札を教会が販売していた。ルターはそれについては罪の赦しや救いの問題をお金の問題にしてしまったと厳しく批判しました。そして、神が下さる宝には、贖宥の文書ではなく神の真実な恵みによってあずかるのだ、と言います。
「キリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより価なしに義とされるのです。」私たちは、神が私たちを憐れんで、恵みによって与えてくださる以外には救いの道がありません。それ以外の仕方で得た神の宝は、不正なものです。私たちは今日も神様の御前に悔い改めます。神の憐れみを頂くために、神さまの御前にへりくだります。
キリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより価なしに義とされるのです。(ローマ3:24)
今日は10月31日、マルティン・ルターの教会改革の運動が始まったことを記念する日です。1517年10月31日にルターが公開した当時の教会への質問状では、このようなことを言っています。
1.私たちの主であり師であるイエス・キリストが、「悔い改めよ・・・・・・」と言われたとき、彼は信ずる者の全生涯が悔い改めであることを欲したもうたのである。
ルターは、神様の御前で真実に悔い改め、私たちの生き方が新しくなることを第一のこととしました。神さまは私たちをこれまでの生き方の功績や、ましてやお金の問題で救ったり滅ぼしたりするのではない。全生涯の、日ごとの悔い改めこそが求められている、とルターは言います。更に続けてこれを読んでいくと、このような言葉も出てきます。
37.真実のキリスト者ならだれでも、生きている者も死んでいる者も、贖宥の文書がなくても神から彼に与えられたものである、キリストと教会とのすべての宝にあずかっているのである。
ここでの「贖宥の文書」というのは、いわゆる「免罪符」として知られている当時の教会が発行していたお札です。罪の赦しを確約するお札を教会が販売していた。ルターはそれについては罪の赦しや救いの問題をお金の問題にしてしまったと厳しく批判しました。そして、神が下さる宝には、贖宥の文書ではなく神の真実な恵みによってあずかるのだ、と言います。
「キリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより価なしに義とされるのです。」私たちは、神が私たちを憐れんで、恵みによって与えてくださる以外には救いの道がありません。それ以外の仕方で得た神の宝は、不正なものです。私たちは今日も神様の御前に悔い改めます。神の憐れみを頂くために、神さまの御前にへりくだります。