今日はファミリーサンデー。子どもと大人とが一緒に神さまを礼拝している。子どもの声に合わせて大人が讃美し、子どものペースに合わせて大人も祈る。すばらしい事だ。天の国はこういうことなのではないだろうか。今日は何よりも、子どもたちに、イエス様があなたを大好きだということを知ってほしい。そして、子どもたちにもイエス様を大好きになってほしい。そのためにイエス様を紹介したい。今日はイエス様と一人の人との出会いの物語だ。その人は徴税人マタイ。マタイの仕事は税金を取り立てることなのだが、悪いことに当時の徴税人たちは規定の額以上にたくさん取り立てていた。ただでさえ税金を取られるのはいやなものだが、ましてだまし取っていたとなると嫌われて当然。マタイら徴税人らは町の鼻つまみ者だ。そんなマタイが収税所に座っていた。座って何をしていたのか。仕事にいそしんでいたのか。考え事をしていたのか。ボーッとしていたのか。フト思う。金持ちになるのと友達がたくさんいるのと、どちらがしあわせなのだろう。もしかしたら、マタイはかつてはお金が欲しかったけれど、皆に嫌われ、友達がいないことに疲れていたのかも知れない。イエス様は収税所に座っているマタイをご覧になって、「わたしに従いなさい」とおっしゃった。マタイはすぐに従った。嬉しかったに違いない。だから、マタイは他の徴税にの仲間や罪人と呼ばれる町の嫌われ者たちを集めて、自宅でパーティーをした。嬉しかったのだ。ところが、そんな様子を見て呟くものもいる。どうしてイエスは徴税人や罪人と一緒に食事をするのか、と。それを耳にしたイエス様はおっしゃった。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。」健康な人、元気な人のために医者がいるのではない。病人のために医者がいる。当たり前のことだ。主イエスはおっしゃるのだ。「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」ここまで来るともう当たり前の言葉ではない。驚きをもって聞かないわけにはいかない。イエスは嫌われている人、困った人のために来たと言われるのだ。どんな人でも、周りから例えどう思われていたとしても、イエス様は仲間になってくださる。むしろ、そのために来てくださった。だから私もイエス様の仲間になれた。今日は餅つき、パーティーだ。ここには誰でも入れる。イエスは「私についてこい」と招いておられる。
2024年4月26日の聖句
神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...
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主イエス・キリストが、安息日になるといつものように会堂に入り、聖書を朗読なさいます。これだけでもう慰め深い言葉です。私たちは今主がそうなさったのと同じように、私たちの安息日である主の日、日曜日に教会堂に集まって礼拝を献げています。今日、ここに来られな...
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今日の通読箇所:ルカによる福音書7:24~50、ヨシュア記1 8、詩編124~125 ヨシュア記18; 「あなたがたの先祖の神、主が与えられた地に入り、所有するのを いつまでためらっているのか(3節)」。すでにイスラエルの五つ の部族には所有地が割り当てられましたが、 まだ...
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詩編29~30 主は洪水の上に座し 主は王として、とこしえに座した。 主がその民に力を与えてくださるように。 主がその民を祝福してくださるように 平安のうちに。(30:10~11) 川の水はかの平清盛にさえもどうにもならないと言わしめたと聞き及んだことがあります。私たち人間の...