第50編に続き神への献げ物を考えさせる。ここでの献げ物は特別なもの、つまり罪の悔い改めの献げ物だ。いけにえや焼き尽くす献げ物よりも「打ち砕かれた霊、打ち砕かれ悔いる心」を喜んでくださると信じ、神の前に真摯に悔い改める言葉である。私はどれだけ自分の罪を知っているのだろう。その汚れが神にしか拭えないほどひどいのだとどれだけわきまえているのだろう。そして、神の赦しがこれほど確かだと知っていたのだろうか。
2025年11月5日の聖句
私たちは自らの道を探し、調べて、主のもとへ帰ろう。(哀歌3:40) 私は、こう祈ります。あなたがたの愛が、深い知識とあらゆる洞察を身に着けて、ますます豊かになり、本当に重要なことを見分けることができますように。そして、キリストに日には純粋で責められるところのない者となりますように...
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1. ヨハネによる福音書は最後の晩餐の場面をとても長く書いている。全部で21章の福音書の内の5章、4分の一に近い。しかも、いわゆる受難週の記事の殆どがこの晩餐の場面だ。その最後の晩餐を覚える祈祷会をこの木曜日に献げている。キリストがしてくださったように私たちもするのだ。主が...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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(主の言葉)恐れるな、アブラムよ。私はあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。(創世記15:1) こうして、アブラハムは忍耐の末に、約束のものを得ました。(ヘブライ6:15) 「恐れるな。」神さまは私たちに語りかけてくださいます。「恐れるな!」 しかも、もったいないこ...