2017年1月8日日曜日

マルコによる福音書第1章35から38節「キリストについていこう」

「イエスは言われた。『近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。』」これが、2017年の私たちさがみ野教会の活動の主題です。今日はこの言葉を含む段落を開いています。マルコが福音書に書いて伝えているところを見ると、実はこの箇所に先立つ21節から今日の箇所の最後の38節まではすべて24時間くらいのあいだに起こった出来事であったようです。カファルナウムという村で起きた出来事でした。この日は安息日です。場所は会堂。私たちで言えば、日曜日の礼拝から事は始まります。主イエスは会堂で神の国の福音を教え、悪霊に疲れた人をいやされました。その後でシモン・ペトロの家に行かれます。これも興味深いことです。シモンはついこの前仕事も家族も捨ててイエスの弟子になったばかりでした。きっと、主イエスが「お前の家に連れて行ってくれ」とおっしゃったのではないかと想像します。行ってみると、シモンの姑が熱を出している。主イエスはそれをいやされます。そして、夕方になるとカファルナウムの人が大勢シモンの家の前にやって来て、主イエスに病をいやして頂きました。一体、何人来たことでしょう。それとも、何十人だったのでしょうか。その日には全員分終わらなかったようです。何しろ、街頭も室内照明もない時代です。夜になれば真っ暗。僅かなともしび皿の火だけが頼りです。人々は翌朝を待って、再び主イエスのところへやって来ました。しかし、すでにシモンの家にイエスはおられない。そこから、今朝の物語が始まります。主イエスは人里離れた場所で、一人祈っておられたのです。弟子たちがイエスを捜しにやって来て言います。「みんなが捜しています。」すると、どうでしょう。イエスは考えてもみなかったことを言われるのです。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」それを聞かされた人たちは一体何と思ったのでしょうか。要するに、イエスは、シモンの家に押しかけている病の人たちのことは置いて、ほかのところへ行こうとおっしゃっているわけです。無責任だとか、冷たいと思われても仕方のないように思えます。まして、置いていかれる人たちにしてみれば、「私たちのことはどうしてくれるんですか?」と言いたくもなるでしょう。なぜ、主イエスはこのようなことを言われるのでしょうか。そのことを考えるために、少し遠回りなようですが、明治の時代に日本に宣教に来たヘール宣教師をご紹介したいと思います。そもそもカンバーランド長老教会が生まれたのは1810年のことでした。その後、1850年代からリベリア、トルコなどの外国への宣教を試みますが、いずれも短期間での終了を余儀なくされました。大きな要因は1861から65年の南北戦争です。当時のカンバーランド長老教会は3分の1が北部、残りが南部にあり、内戦で教会が分断されました。ヘールが日本での宣教を志したのは1874年のことです。周囲は猛反対。国も教会も傷つき、人々は疲弊し、牧師を必要とする人は大勢いる、と。しかし、教会全体の祈りと献身により1877年、明治10年にヘールは日本に訪れました。反対した人の言い分はもっともです。しかし、厳しい言い方ですが、そこには信仰は自分のニードを満たすことだという思いが隠れていたのかも知れません。カファルナウムでもそうです。キリストの福音は自分のニードを顧みない人の手で私たちのところにまで届けられました。キリストは、むしろ、他の町や村へ行く私について来いと言われるのです。2017年、私たちさがみ野教会は思い新たにこのキリストについていきます。   

2024年4月24日の聖句

恐れるな、もはや恥を受けることはないから。(イザヤ54:4) 天使は女たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」(マタイ28:5~6) 「あの方は、ここにはおられない。」最初のイースターの朝...