「苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らを苦しみから救ってくださった」と何度も繰り返す。これは私たちの毎日そのものではないか。苦難は17節を見ると「彼らは無知であり、背きと罪の道のために、屈従する身になった」というとおり、我らの罪が招いた結果だ。しかし、主は救ってくださった。御言葉によってである(20)。主に背き、罪に罪を重ねる者になお語り続け、御自分のものとして贖ってくださる方に賛美をささげよう。
2025年7月3日の聖句
人間の心は自分の道のことに思いを巡らすが、主がその一歩を確かなものとする。(箴言16:9) 言葉であれ行いであれ、あなたがたがすることは何でも、すべて主イエスの名によって行い、イエスによって父なる神に感謝しなさい。(コロサイ3:17) 神さまを信じる私たちにとって、自分の生き方や...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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仲間に向かって平和を口にするが心には悪意を抱いている「神に逆らう者」いる。しかし、私は主を呼び求めます、と告白する。「至聖所に向かって手を上げ、あなたに救いを求めて叫びます。」新約の信仰に生きる者にとって、この至聖所はキリストがおられる「恵みの座」であり、我らは大胆にもそこに近...
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神によって私たちは力を振るいます。(詩編60:14) きょうだいたち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を、神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。(ローマ12:1) 今日の二つの御言葉がいっしょに掲げられているというのは本当に面白いなと思います。神によっ...