2018年5月3日木曜日

詩編第119編1から8節「いかに幸いなことでしょう」

長大なこの詩編は主が下さった律法への愛を言葉に表す。「いかに幸いなことでしょう」と始まっている。詩編第1編と同じだ。主の律法は、本来は私たちに幸いをもたらす言葉。主の御言葉への愛を最初に確認したい。この詩編は、私が主の言葉に従うなら「あなたのどの戒めに対しても、恥じ入ることがないでしょう」と言う。世間や人と比べて恥じ入らないで済むというのではない。主がどうご覧になるかを自分の生きる基準にしているのだ。

2024年3月28日の聖句

正義は国を高める。罪は民の恥となる。(箴言14:34) イエスはそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。目的の場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。(ルカ22:39~40) 主イエス・キリストは、この夜も「いつ...