今日の通読箇所:使徒言行録18、列王記上21~22、ヨブ記40
列王記上21~22;
アハブ王はナボトという人のぶどう畑が気に入り、譲ってくれるように交渉しました。相当の代価を銀で払うか、もっとよいぶどう畑と交換するか。ところがナボトは言います。「先祖から受け継いだ地をあなたに譲ることなど、主は決してお許しになりません(21:3)」。これは、ナボトの言うとおりです。律法の中で「イスラエルの人々に属する相続地が、ある部族から他の部族に移ることはない。イスラエルの人々はそれぞれ、父祖の部族の相続地を固く守っていかなければならないからである(民数記36:7)」と定められています。アハブもイスラエル人である以上、そのことは知っていたはずです。しかし人のものを自分のものにしたいという貪りの心が、ナボトへの羨みの末に、王を怒らせました。彼はナボトの「言ったことに機嫌を損ね、激しく怒って王宮に戻った」。それを見たイゼベルは一計を案じてナボトを殺し、ぶどう畑をアハブのものにしてしまいました。
さらに、アハブの外交政策についても記録されています。当時、南王国ユダはヨシャファトという信仰深い王が治めていましたが、アハブ王とは友好的に関係を結んでいました。南北で連合して、本来は北方にあるイスラエルの領土であり、今はアラムに占領されているラモト・ギレアドという町を奪い返す作戦を始めました。ヨシャファトはあくまでも主の御心に従おうとし、「どうかまず主の言葉を伺ってみてください(22:5)」と言います。ところがアハブの前に来た預言者たちは皆自分の命を守る損得勘定のために王に忖度し、王のご機嫌取りのポジショントークしかしません。「必ず勝てます」とごまをすり、誰ひとり厳しいことは言わない。古今東西、権力の末期的な症状です。その中でただ一人、ミカヤという預言者だけが王に厳しい言葉をかけました。実はあの預言者たちの甘言は偽りを言う霊の言葉だと厳しく糾弾したのです。結局、アハブ王は奸計を図ってヨシャファトを自分の身代わりに使用としたにもかかわらず、この戦いで戦死しました。預言者ミカヤ、あるいはエリヤを通して神が言われたとおりに。
今日はアハブの最後の二つのエピソードでしたが、彼はとことん自分自身を神のようにして振る舞った人物であったと思います。自分の貪りに正直であり、すぐに怒り、厳しい言葉には耳を貸さない。自分にうれしいことを言ってくれる人だけで周りを固める。こうしてみると、なんともこの王は自分自身の姿のように思えてなりません。もしかしたら、私たちの罪の姿は、小さくてせこい「王様」に勝手になってしまっていることであるのかもしれません。端から見ると滑稽です。しかしその滑稽なことに気づき、へりくだって、神に作られたものとしての分をわきまえるには、私たちのまことの王をお迎えするしか、ないのではないでしょうか。私たちの王である方は、へりくだって、十字架に掛けられるまで身をかがめ、茨をその冠として頭に戴いた方なのです。
2024年4月24日の聖句
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