今日の通読箇所:コリントの信徒への手紙一15:29~59、エズラ記7~8、雅歌1
エズラ記7~8;
祭司の家に生まれ、主の律法を研究し実践していた書記官エズラが、アルタクセルクセス王の時代にエルサレムに帰還しました。前458年のことです。キュロスによる最初の捕囚解放からすでに約70年経っています。彼らが着手した神殿は、それから13年で完成していました。ですので、エズラたちは新しい時代の帰還民の物語、ということになります。最初のエルサレムへの帰還の時には、神殿再建というはっきりとした目標がありました。そしてエズラの時代には新しい時代の新しい課題がありうました。教会でいえば、開拓伝道の時代から次の教会形成の時代に移った、ということでしょう。繰り返しになりますが、エズラの帰還は第一回帰還から約70年後、神殿の完成から45年後のことです。
新しい時代とはいっても、華々しい新しさの中に生きたわけではありません。崩壊した神の民は、やっとのことで神殿が完成しただけで、まだ民そのものの基礎はバラバラのままです。再建は、新設よりも難しい。そこでエズラが着手したことは何か。アルタクセルクセスがエズラに与えた書簡にはこのように書かれています。「あなたの手にある神の律法に従って、ユダとエルサレムのことを調べ、エルサレムに住まわれるイスラエルの神に対して、王と参議たちが自発的に献げる銀と金、おより、バビロニアのすべての州であなたが得るすべての銀と金を、民と祭司たちが自発的に献げるものと一緒に、エルサレムにある神の宮へ携えて行くためである(7:15,16)」。つまり、律法による国作りと、礼拝の改革です。聖書に記された神の言葉に従って生き、神を礼拝することによって、神殿は建物だけでなくその内実が完成するのです。
8:21~23を見ると、帰還の道中、エズラは兵士に身の安全を守ってもらうことを善しとはしなかった、ということが書かれています。彼らがしたことは、「それゆえ、私たちは断食して神に願い求め、神はその祈りを聞き入れられた(8:23)」ということでした。力ではなく、祈りに生きた。これも示唆にとんだエピソードです。