2019年8月19日月曜日

2019年8月19日(ネヘミヤ記1〜2)

今日の通読箇所:コリントの信徒への手紙二1、ネヘミヤ記1~2、雅歌3

ネヘミヤ記1~2;
エズラと同時代の人、ネヘミヤが登場します。彼はまだペルシアのアルタクセルクセスの王宮にいました。そこで彼は献酌官をしていたのです。それは王にお酌をし、それだけではなく食事の毒味もしていたようです。従って、王の信頼を得ていたと考えてよいとおもいます。つまり、ペルシアでの生活の基盤はしっかりと安定していた、ということを意味します。
ネヘミヤの時代は、ユダ王国がバビロニアに敗れて捕囚となってから、すでに152年経過しています。私たちに置き換えて考えると、明治元年が1868年ですから、152年前となるとまだ江戸時代ということになります。150年間その地で生活したのであれば、もう移民として新しい地に完全に根付き、その国の人です。しかしネヘミヤは、遙かな故郷のことをいつも気に掛けていました。「私の兄弟の一人ハナニが、数人の者と共にユダからやって来たので、私は捕囚を免れて生き残っているユダヤ人について、またエルサレムについて尋ねた(1:2)」。
ハナニの答えは、ネヘミヤにとっては辛いものでした。「捕囚の生き残りで、その州に残っている人々は、大変な苦悩と恥辱のうちにいます。またエルサレムの城壁は崩され、門は火で焼かれてしまいました(3節)」。ネヘミヤはその知らせを聞いて泣き、断食をして祈り、エルサレムに帰る決意をしました。アルタクセルクセス王に頼んで、彼の地に帰らせてもらいます。その目的は、エルサレムの城壁の再建でした。
今日のところには「神の恵み深い手が私の上にあったので(2:8)」とあります。この恵みの手を信じて、一人の信仰者が歩み始めました。同胞へのはらわたのちぎれるようなシンパシー、エルサレムの都で献げるべき礼拝を思い、神に祈り、神を信じて一歩を踏み出しました。同じ神の恵みの手は今私たちの上にもあります。

2025年7月14日の聖句

(ソロモンの言葉)見よ、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの神殿などなおさらです。(列王記上8:27) まことの礼拝をする者たちが、霊と真実をもって父を礼拝する時が来る。(ヨハネ4:23) ソロモンが建てた神殿は一体どのような建物だったのでしょ...