2019年8月29日木曜日

2019年8月29日(エステル記6〜7)

今日の通読箇所:コリントの信徒への手紙二11、エステル記6~7

エステル記6~7;
鮮やかな逆転劇が起こります。ハマンは相変わらず自分にひれ伏そうとしないモルデカイに腹を立て、モルデカイを吊すために50アンマもの高さの杭を打ち立てました。2メートル以上もあります。
ところが、ハマンの企みとは違う所で、新しい出来事が始まっていきます。ある眠られぬ夜、王は宮廷の日誌を持ってこさせ、その朗読を聞いていました。そこにはかつてモルデカイが立てた功績が記録されていた。王の宦官の悪巧みをモルデカイが防いだという出来事があったことをクセルクセス王は知り、しかもモルデカイが褒美を得ていないことを知って、彼に栄誉を与えることにしました。どうしたらいいのか。王はハマンに質問し、ハマンの提案どおりにモルデカイにしてやるようにと命じます。ハマンはてっきり褒美を得るのは自分だと思っていましたが、その栄誉はハマンではなくモルデカイに与えられました。
そして、ついにエステルの酒宴が催され、王とハマンが招待されました。エステルはハマンの企みを王に暴露し、さらに彼がエステルに命乞いしているところを見た王が勘違いしてエステルを襲っていると思い込み、ハマンは死刑にされることになった。彼は、自分がモルデカイを吊そうと思って立てた柱に吊されることになりました
この鮮やかな逆転劇は、エステル記のクライマックスであると思います。このような逆転を起こせるのは、神様だけでしょう。人間の企みは神様の手の中にあります。一見すると人間の混乱に満ちていますが、実はその中でゆっくりと神様の御心がすすんでいきます。エステルもモルデカイも、ハマン自身も思い描いても見なかった新しい歴史が、目に見えない隠れた支配者の手によって進んでいくのです。私たちの歴史も、同じ方が支配しておられます。人間の企みを逆用なさる方の手の大きさが、私たちへの慰めであり、励ましです。

2024年4月24日の聖句

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