今日の通読箇所:テサロニケの信徒への手紙一2、イザヤ書35~36
イザヤ書35~36;
「荒れ野と乾いた地は喜び、砂漠は歓喜の声を上げ、野ばらのように花開く。花は咲き溢れ大いに喜びの歌声を上げる(35:1~2)」。
預言者イザヤが語るこの救いの光景は、荒れ野や乾いた地、砂漠に始まる神の御業を語り出しています。荒れ野も乾いた地も、砂漠も、それ自体を見ていても芽吹きの可能性はありません。しかし、神がそこに救いの道を敷くとき、そこには野ばらが花開き、花が咲き溢れます。
「弱った手を強くし、萎えた膝を確かにせよ。心を騒がせている者たちに言いなさい。『強くあれ、恐れるな。見よ、あなたがたの神を。報復が、神の報いが来る。神は来られ、あなたがたを救う』(3~4節)」。
あなたたちを救ってくださる救いの神を見よ、と言います。自分自身を見つめるのでも、自分の周りを見回すのではない。神を見つめるとき、私たちの膝が萎えていても、確かになります。心が騒いでいても、強くあることができます。それはエジプトのような国との軍事同盟によるのではなく、祈りによる出来事です。
「その時、見えない人の目は開けられ、聞こえない人の耳は開かれる。その時、歩けない人は鹿のように飛び跳ね、口の利けない人の舌は歓声を上げる。荒れ野に水が、砂漠にも流れが湧き出る。」「そこに大路が敷かれ、その道は聖なる道と呼ばれる。」「主に贖い出された者たちが帰って来る。歓声を上げながらシオンに入る。その頭上にとこしえの喜びを戴きつつ。喜びと楽しみが彼らに追いつき、悲しみと呻きは逃げ去る。」(5,6,8,10節)
神が拓いてくださる救いの大路は、私たちのような者をも通らせてくださるための道です。今日、私たちが歩む道がこの神の拓いてくださった道であることに私たちが気づき、喜び、神を賛美しつつ、一日を歩むことができますように。
2024年5月17日の聖句
あなたは寄留者を抑圧してはならない。あなたがたは寄留者の気持ちが分かるはずだ。あなたがたもエジプトの地で寄留者だったからである。(出エジプト記23:9) 正しい人たちが王に尋ねた。「主よ、いつ、見知らぬ方にお宿をお貸ししたでしょうか。」王は答えた。「よく言っておく。この最も小さな...
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