2019年9月19日木曜日

2019年9月19日(イザヤ書41〜42)

今日の通読箇所:テサロニケの信徒への手紙一5、イザヤ書41~42

イザヤ書41~42;
彼らは互いに助け合い、兄弟に「強くあれ」と言う。鋳物師は細工師を励まし、金槌で滑らかにする者は鉄床を叩く者を励ます。はんだ付けを「それで良い」と言い、釘で固定して動かないようにする。しかし、イスラエルよ、あなたは私の僕、私が選んだヤコブ、私の友アブラハムの子孫。私はあなたを地の果てから連れ出し、その隅々から呼び出して言った。「あなたは私の僕。私はあなたを選び、拒まなかった」と。(41:6~9)
私たちは失望したときに、自分に心地よい言葉をどうしても聞きたくなります。自分の現状を肯定して、「それで良い」と言ってくれる言葉を探します。もちろん互いにポジティブな言葉を向け合うのは良いことでしょう。しかし、「それで良い」という言葉でなんとか癒やされて、また変わらずに吹き荒れている外の嵐に向かっていく、ということで事は済むのでしょうか。
主なる神様は、私たちを生み出し命を与えてくださった方として、私たちの創造主として、私たちを根本から支える言葉を語りかけてくださいます。「あなたは私の僕。私はあなたを選び、拒まなかった」。私たちは風のように移ろいやすい人の言葉に一喜一憂するのではなく、いつ、どのようなときにも変わることのない神の言葉によって、根本から支えられています。
私たちに救いを約束する神の言葉を実現するために、神は、ご自身の僕を選び、私たちに遣わしてくださいます。「見よ、私が支える僕。私の心が喜びとする、私の選んだ者を。私は彼に私の霊を授け、彼は諸国民に公正をもたらす。彼は叫ばず、声を上げず、巷にその声を響かせない。傷ついた葦を折ることなく、くすぶる灯心の火を消さず、忠実に公正をもたらす。彼は衰えず、押し潰されず、ついには、地に公正を確立する。島々は彼の教えを待ち望む(42:1~4)」。このような救い主こそ、傷つき、倒れてしまった者に「優しく語りかけ(40:2)」ることのできる方です。私たちは、他の何かのもたらす救い(らしきもの)ではなく、主の僕であるお方の下さる救いの言葉に耳を傾け、ここから慰めを戴きましょう。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...