2019年11月22日金曜日

2019年11月22日(エゼキエル書45〜46)

今日の通読箇所:ヨハネによる福音書21:15~25、エゼキエル書45~46

エゼキエル書45~46;
「あなたがたがその地を相続地として分配するとき、その地の聖なる部分を献納地として主に献げなさい。その長さは2万5千アンマで、幅は2万アンマである。この周囲の領域もすべて聖なる地である」(45:1)。
これは恐らく第二回バビロン捕囚の前後に語られた言葉です。イスラエルの滅亡が目前に迫っているか、あるいはすでに壊滅し、王家も含めて捕囚されているか。そのような苦しみの中で、イスラエルの民にとっての励ましは、かつて自分たちの祖先がエジプトの国、奴隷の家から解放されたこと、神に救って頂いたことだった。今朝の御言葉を読むと、そのことがよく分かります。「あなたがたがその地を相続地として分配するとき」というのは、エジプトを脱出して約束の地に入っていこうというまさにその時を彷彿とさせる言い方です。やがて、再び、神はご自分の民をこの地に帰らせてくださる。人々はその約束に慰めを受けながら、この言葉を聞いたのではないでしょうか。
その相続地では、民に分配するよりも前に神のための聖なる土地を献げよ、と言います。その地は長さ2万5千アンマ、幅2万アンマ。さらに6節を見ると「あなたがたは、聖なる献納地に沿って、幅5千アンマ、長さ2万5千アンマの土地を町の所有地としなければならない」とあります。合わせて2万5千アンマの正方形になります。一アンマは約45センチメートルですから、2万5千アンマは11,250メートル。面積は約126平方キロメートルということになります。かなり広大な土地です。この分をまず主のものとして取り分けよ、というのです。
そのほかにも、13節以下では献納物の話が出てきます。46:6以下は安息日の話です。このようにして、土地にしても作物や時間にしても、まず神に献げるということが大切にされています。それは、この地が相続地として与えられるということ自体が神の救いの御業に他ならず、私たちが持つものはすべて神が与えてくださった恵みの贈り物だということを意味しているのではないでしょうか。私たちは、神に与えられた宝をお返しする。それが、神様のみまえでの私たちの献身なのではないでしょうか。

2024年4月25日の聖句

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