2019年12月11日水曜日

2019年12月11日(アモス書3〜5)

今日の通読箇所:ヨハネの黙示録11、アモス書3~5

アモス書3~5;
イスラエルに対して、主は言われます。「地上のすべての氏族の中から私が選んだのはあなたがただけだ。それゆえ、私はそのすべての罪のゆえにあなたがを罰する」(3:2)。主なる神はイスラエルを選び、特別な愛を注いで来られました。イスラエルのために海の中や砂漠の中に道を通しました。彼らのために約束の地を与え、そこで生きるために必要なすべてのものを与えました。そして、彼らに何よりも必要な神様ご自身の言葉を聞かせ、生きるための指針となる戒めを下さいました。イスラエルは、特別に神から愛されてきた。だから、選ばれて、特別な恩寵を受けた者としての責任がある。そう言われます。
「公正を苦よもぎに変え、正義を地に投げ捨てるものよ」(5:7)とイスラエルが呼ばれています。「彼らは町の門で戒める者を憎み、真実を語る者を忌み嫌う。あなたがたは弱い者を踏みつけ、彼らから穀物の貢ぎ物を取り立てている」(10~11節)。「あなたがたの背きの罪がどれほど多く、その罪がどれほど重いか、私は知っている。あなたがたは正しき者を苦しめ、賄賂を取り、町の門で貧しい者を退けた」(12節)。神様は正義と公正を愛される。強い者が弱い者から奪い取ること、貧しい者が虐げられることを憎んでおられる。そうはっきりと言われています。
そのような社会や時代であれば、社会の中での浄化作用が働かないのか?それについてはこう言われています。「それゆえ、悟りのある者はこの時代に沈黙する。まことに、これは悪い時代だ」(13節)。悟りある者が、良心に基づいて社会に忠告しても聞き入れてもらえない。却って退けられる。それで、結局口をつぐんでしまう。そういうことなのではないでしょうか。
「善を求めよ、悪を求めるな。あなたがたが生きるために。そうすれば、あなたがたが言うように、万軍の神である主は、あなたがたと共にいてくだsだるであろう」(14節)。私たちは、簡単に、神様はいつでも側にいてくださる、私の過ちを赦してくださると、当たり前のように言ってのけます。しかしそれは、時に、畏れを知らぬ不遜な言葉にもなり得ます。善を求め、悪を求めるな。生き方を神に向けて方向転換せよ、と神様は私たちに言われます。
「公正を水のように、正義を大河のように、尽きることなく流れさせよ」(24節)。この社会で正義を行い、神様の義を証しすることを、神はわたしたちの望んでおられるのではないでしょうか。

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...