2019年12月10日火曜日

2019年12月10日(アモス書1〜2)

今日の通読箇所:ヨハネの黙示録10、アモス書1~2

アモス書1~2;
預言者アモスは「テコアの羊飼いの一人」(1:1)と言われています。貧しく、学もない人だったのでしょう。時代はウジヤ王の時代と言いますから、預言者イザヤが活動していたのと同じ頃ということになります。この王自身は正しい人であったようですが、国民の心は偶像に結びついてしまっていたようです。そして、この時代の特筆すべきことは、大きな地震があったということです。中東のことですから、地震自体がほとんどなかったのではないかと思います。しかも、ゼカリヤ14:5によると避難が必要なほどの地震だったようです。そのような天変地異の僅か二年前、この預言者が何を語っていたのか。アモス書はそのことを伝えているのです。
まずダマスコ、ガザ、ティルス、エドム、アンモン、モアブと、ユダやイスラエルに近い異国への預言、裁きの預言が語られています。それに続けて、ユダ、そしてイスラエルへの裁きが預言されています。
ユダは、「彼らが主の教えを拒み、その掟を守らず、先祖の神々が彼らを惑わしたからだ」(2:4)と指摘されています。謂わば、ここで指摘されていることは、十戒の第一戒から第四戒、十戒の第一の板の戒めです。続けて告げられるイスラエルへの裁きの預言は第五戒から第十戒の第二の板の問題であると思います。「彼らが正しき者を金で、貧しい者を履物一足分の値で売ったからだ。彼らは弱い者の頭を地の塵に踏みつけ、苦しむ者の道をねじ曲げている」(6~7節)。ユダとイスラエルの罪は、一つです。ただ神だけを信じ、礼拝することと、貧しい者、弱い者を正しく扱うこととは別の事柄ではありません。神様は、このような不正義を裁かれるのです。
「私はあなたがたの子らの中から預言者を、若者の中からナジル人を立てた。イスラエルの子らよ、そうではないかーー主の仰せ。しかし、あなたがたはナジル人に酒を飲ませ、預言者に、『預言するな』と命じた」(2:11)。ナジル人というのは、神のものとされた人のことです。彼はそのしるしとして紙に剃刀を当てず、酒を断ちます。神のものとして仕える人。しかし、そのナジル人に「預言するな」と命じる。それが、この社会の要請だったと神は言われます。お前たちは私の言葉を封じた、と言われるのです。
このような社会がこれ以上保つはずがありません。これらの言葉は、もしかしたら、羊飼いという社会の底辺に生きたアモスだからこそよりよく見えた社会の実態なのかもしれません。私たちの社会の実態は、今、いかなることになっているのでしょうか。

2024年4月20日の聖句

私は必ずあなたを助け出す。剣に倒れることはない。あなたの命はあなたの戦利品となる。あなたが私を信頼したからであるーー主の仰せ。(エレミヤ39:18) イエスはその犯罪人に、「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカ23:43) 主イエスが十字架の上で...