2019年12月5日木曜日

2019年12月5日(ホセア書9〜10)

今日の通読箇所:ヨハネの黙示録5、ホセア書9~10

ホセア書9~10;
イスラエルよ、喜び祝うな。もろもろの民のように喜び踊るな。あなたは自分の神を離れて淫行にふけり、どこの麦打ち場でも淫行の報酬をほしがる。だが、麦打ち場はもちろん、搾り場でさえ、彼らの糧は得られない。新しいぶどう酒はイスラエルを裏切る。(9:1~2)
恐らく、収穫の祝い、収穫の祭のことを言っているのであろうと思います。一年の労働の成果が出た日、しかも来年まで命をつなぐことができるという喜びの日でもある。喜び祝い、踊って楽しむのは、ある意味当然でしょう。しかし、それをしてはならないと神様は言われます。なぜなら、この収穫の祝い、日を照らし雨を降らせてくださった主なる神様への感謝の祭であるはずのものが、神ならぬものを崇める乱痴気騒ぎになっているからだ、というのです。
今、本当に必要なのは、神の前に頭を垂れて悔い改め、ただ神を信じ、自分たちの生き方を改めることなのではないでしょうか。
私たちの世界を支配している小さな神々が、やはりたくさんいます。成果主義とか勝ち負けとか呼ばれることもあります。寄るべき大樹であったり、出すぎた杭にならないようにと言う同調圧力であったり。時には鏡に映る自分が自分の小さな神になることだってあるのではないでしょうか。
預言者ホセアは、本当に真剣に、神に立ち帰れと言い続けた人です。厳しい裁きを語りました。「ベテルよ、あなたの甚だしい悪のゆえに、同じことがあなたがたにも起こる。夜明けとともに、イスラエルの王は必ず絶たれる」(10:15)。裁きがこんなにも厳しく宣告されるのは、なんとかして破滅に突き進んでいくのを食い止めようという決死の思いの現れです。「あなたがたは正義のために進んで種を蒔き、慈しみ実を刈り入れよ。新しい土地を耕せ。主を求める時が来た。主はやがて来られ、あなたがたを義で潤す」(12節)。私たちを正義と、神の慈しみの道へと連れ戻そうとする、神様の必死の呼びかけです。

2024年4月24日の聖句

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