2019年12月4日水曜日

2019年12月4日(ホセア書7〜8)

今日の通読箇所:ヨハネの黙示録4、ホセア書7~8

ホセア書7~8;
エフライムは罪の贖いをするために祭壇を増やしたが、それは罪の祭壇となった。私は彼のために多くの教えを書き示したが、無縁なものと見なされた。彼らは私の贈り物をいけにえとして献げるが、肉を食べるのは彼らであって、主はそれを喜ばれない。(8:11~13)
ホセアの時代、王国はすでに危機的状況にありました。人々の心は主なる神様らから離れ、その代わりになる何か他のものを大事にしていました。神様は目に見えないので、最初はそれでうまくいっているように見えます。しかし、造られたものとして決定的な事柄を蔑ろにすれば、当然のごとく、人々はすさみます。生ける命の水の源を捨てたからです。危機感を覚えた人は、礼拝をしようと言い出したのでしょう。ところが、結局は、その礼拝は自分たちの腹を満たすための手段に堕していました。神様に聞き従うことではなく、形ばかりの儀式でよしとするなら、その祈りや礼拝は、神様から御覧になれば目を覆いたくなるようものだということなのでしょう。
「イスラエルはその造り主を忘れ、宮殿を建て連ねた」(14節)。神様を捨てて、自分たちの生活の聞きを見た目だけ修復しようとしても、うまくはいきません。崩壊した土台の上には堅固な建物は建たないのです。
「私がイスラエルを癒やそうとすると、エフライムの罪と、サマリアの悪事が現れる」(7:1)と言われているとおり、神様の前に、私たちは本当に、どこまでも罪深いものです。神様の愛の語りかけをどれほど無視してきたことか。このアドベントの時期に、このようにして預言者ホセアの言葉を頂いたことは、ありがたいことです。神様を裏切る続ける私のために、主イエス・キリストが来てくださったのです。

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...