2019年12月6日金曜日

2019年12月6日(ホセア書11〜12)

今日の通読箇所:ヨハネの黙示録6、ホセア書11~12

ホセア書11~12;
「まだ幼かったイスラエルを私は愛した。私はエジプトから私の子らを呼び出した。しかし、私が彼らを呼んだのに、彼らは私から去って行き、バアルにいけにえを献げ、偶像に香をたいた」(11:1~2)。「エフライムよ、どうしてあなたを引き渡すことができようか。イスラエルよ、どうしてあなたを明け渡すことができようか。どうしてアドマのようにあなたを引き渡し、ツェボイムのように扱うことができようか。私の心は激しく揺さぶられ、憐れみで胸が熱くなる。私はもはや怒りを燃やさず、再びエフライムを滅ぼすことはない。私は神であって、人ではない。あなたのただ中にあって聖なる者。怒りをもって臨むことはない」(8~9節)。
ホセア書は、裏切る者への悲痛な愛を叫ぶ、神の叫び声です。心を激しく揺さぶられ、憐れみで胸を熱くしながら、ご自分を何度も何度も裏切り、その愛を蔑ろにする者を、なお求めてくださいます。それでもなお、ご自身の身も心も痛めながら、愛し抜いてくださるのです。
私たちはそのような神様の御心など知るよしもなく、軽んじます。侮ります。ホセアが伝える神の愛の訴えは、それを聞けば聞くほど、その熱さに胸を焦がされれば焦がされるほど、この方の愛を裏切る自分の罪深さを痛感せずにはおられないのです。
「あなたはあなたの神に立ち帰れ。慈しみと公正を重んじ、絶えずあなたの神を待ち望め。証人は偽りの秤を手にして、だまし取ろうとする。エフライムは言う。『私は確かに豊かになり、富を得た。この私の労苦の実りすべてが罪から出た悪だとは誰も気づくまい』」(12:7~9)。
神を信じ、この愛に生きることと、この社会の中で正義をもって生きることとは、別々のことではありません。世界は稼いだ者が勝ちということになっていますが、私たちには、ご自身の愛と存在とをかけて「慈しみと公正を重んじよ」と訴えかける方がおられるのです。

2024年4月23日の聖句

神の道は完全。(詩編18:31) (イエスの言葉)「神の国は次のようなものである。人が地に種を蒔き、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。地はおのずから実を結ばせるからだ。」(マルコ4:26~28) 福音書記者マルコは主イエ...