2019年12月7日土曜日

2019年12月7日(ホセア書13〜14)

今日の通読箇所:ヨハネの黙示録7、ホセア書13~14

ホセア書13~14;
イスラエルよ、立ち帰れ。あなたの神、主のもとへ。あなたは自分の罪につまずいた。あなたがたは言葉を用意し、主に立ち帰って、言え。「どうぞ罪をすべて赦し、良いものを受け取ってください。私たちは唇の実を献げます。アッシリアは我々の救いとはなりません。我々はもはや、馬には乗りません。自らの手の業にすぎないものを私たちの神だとは二度と言いません。ただあなたによってこそみなしごは憐れみを受けるのです」(14:2~4)。
教会は、罪の悔い改めを大切にしてきました。主イエス様の御前にあって、十字架の主の御許で、罪を悔い改める祈りを重んじ、信仰生活の一つの中心にあると考えてきました。今朝の御言葉は、悔い改めとは何を祈ることなのかを、私たちに教えています。
「アッシリアは我々の救いとはなりません。我々はもはや、馬には乗りません。」もちろん、乗馬は罪だと言っているわけではありません。軍馬ではなく、アッシリアとの軍事同盟でもなく、神を頼みとして生きていきます、という意味です。私たちが頼みとしているのは、神様でしょうか。ほかの何者かでしょうか。神以外の何かに頼っているのなら、実際のところ、その頼っているものが神ということになります。
悔い改めは、もちろん倫理的・道徳的に間違った行いを改めるということでもありますが、それ以上に、神様から離れていたことを認め、神のみもとに立ち返ることを意味します。
「自分の業にすぎないもの」を、私たちはまるで神であるかのように崇めてはいないか。まことの神を、神としてあがめ、この方だけに祈っているかと、聖書は私たちに問います。なぜなら、このお方の御許にこそ、私たちへの憐れみがあるからです。みなしごのような私たちを、神は憐れみ抜いてくださいます。
「私は、背いた彼らを癒やし、喜んで愛する。私の怒りは彼らから離れる」(5節)。このホセア書は、最後に、このような神の憐れみに満ちた愛を語りながら、どうかそれに躓かないでほしい、神の御許に帰って来てほしいと私たちに呼びかけています。神の愛は、ご自分を裏切る不貞を犯す不逞な者への愛です。ご自分に心から立ち帰る者を、神は決して捨てることがありません。絶対にありません。だから、私たちは神の御許へ帰るために、今日この土曜日を備えの日として神に献げましょう。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...