2020年3月14日土曜日

2020年3月14日(ヘブライ人への手紙12)

ヘブライ人への手紙12;
「だから、萎えた手と衰えた膝をまっすぐにしなさい。また、自分の足のために、まっすぐな道を造りなさい。不自由な足が道を踏み外すことなく、むしろ癒やされるためです。」
ヘブライ人への手紙は第11章でたくさんの信仰者たちの名前を挙げて、彼らを信仰の証人として立たせていました。「こういうわけで、私たちもまた、このように多くの証人に雲のように囲まれているのですから、すべての重荷や絡みつく罪を捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか。信仰の導き手であり、完成者であるイエスを見つめながら、走り抜きましょう。」私たちは信仰の証人たちに囲まれて、イエスを見つめて、自分の走るべき競争を走ります。信仰者としての生涯を全うしよう、という呼びかけです。
この「競争」は、長距離走のイメージなのだろうと思います。忍耐が必要です。重荷や絡みつく罪があります。気力を失い、弱り果ててしまうこともあるかも知れません。しかしそのようなときには、それは神様に与えられた鍛錬だと受け止めよ、とこの手紙は言います。病の噂は私たちの心を奪いますが、信仰までも一緒に奪われないように気をつけよう、ということであろうと思います。
冒頭に掲げた言葉が、今日私の心に残りました。「だから、萎えた手と衰えた膝をまっすぐにしなさい。また、自分の足のために、まっすぐな道を造りなさい。不自由な足が道を踏み外すことなく、むしろ癒やされるためです。」萎えた手、衰えた膝。どうしたらまっすぐになるのか。私のために苦しまれたイエスを見上げ、また私の味わっているこの苦難が主の鍛錬であると気づくことによる、と聖書は言っているのだと思います。困難のときに信仰も萎えてしまわないように、そのようなときにこそイエスを見つめようと呼びかけています。肉体は年齢と共に衰えていくでしょう。気力も失われるかも知れません。しかし、神に向かう信仰は、私たちの心身の衰えとはまた別の事柄であると思います。信仰は神が与えてくださるものだからです。それはただイエスを見つめることによって与えられるものです。イエスへの愛によって新しくされます。イエスへの愛、それは、イエスからの愛に気づくことによってだけ燃やされます。主イエスの愛が、この私にも注がれている。その事実から、今日の日を始めたく願います。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...