2020年3月24日火曜日

2020年3月24日(マルコによる福音書5:21〜43)

マルコによる福音書5:21~43;
二つの奇跡が、サンドイッチのような構造で語られています。マルコは時々こういう手法で話を展開します。こういうときはバラバラにせず、関連する二つの出来事として受け止めることが必要なのだと思います。
間に挟まれているのは、12年間出血が止まらなかった女が主イエスの力によって癒やされた、という奇跡です。この話を取り囲んでいるもう一つの話は会堂長ヤイロという人の12歳の娘が死にそうで、主イエスのところにヤイロは助けを求めに来て、主と共に娘のところに向かっていく、という話です。ヤイロの家に向かっている途中でもう一人の女の出来事が起こりました。彼女は12年間病に苦しみ、少女は12歳でした。同じ12年間。ここでも二つの出来事のつながりを見ることができます。
ヤイロは急いで主をお連れしたかったのですが、主は途中でもう一人の女のために足を止めてしまわれました。ご自分に押し迫ってくる群衆の中の誰かが自分に触れ、ご自分のその力によって誰かが癒やされた、と知ったからです。主は立ち止まり、誰がご自分に触れたのかを探して辺りを見回しておられます。主は、彼女が自分から名乗り出るのを待っておられました。「女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。イエスは言われた。『娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。病気から解放されて、達者でいなさい。』」
ヤイロの家に着いたとき、すでに娘は死んでいました。主は娘は死んでいるのではない、眠っているのだと言われますが、人々はイエスを嘲笑います。「しかし、イエスは皆を外に出し、子どもの父母、それにご自分の供の者だけを連れて、子どものいるところへ入って行かれた。そして、子どもの手を取って、『タリタ、クム』と言われた。これは、『少女よ、さあ、起きなさい』という意味である。」イエスは少女の父母と弟子だけに奇跡をお見せになりました。あのもう一人の女が群衆の一人ではなく、主の前に名乗りを上げ、ひれ伏したのと似ていると思います。主は、あの女を群衆の中に埋没した名もなき誰かではなく、向き合おうとなさいました。少女のことは、その手を取って呼びかけてくださいました。主は一人の人と向き合い、その手を取ってくださるお方です。
病も死も、私たち自身の問題です。誰でも100パーセント、必ず当事者になります。私たちの弱さの日、苦しみの日に、主は私たちを大衆の一人としたままにはなさらずに、向き合う関係を築こうとなさいます。私たちが主の前に出て主を信じることを主は求めておられる。そのために、私たちの手もとってくださいます。私たちが死んで横たわるときにも、私たちの手を取って呼びかけ、「さあ、起きなさい」と言ってくださる。その日が必ずやって来ます。キリストが私たちに命を与えてくださる、その日が。

2020年3月29日(マルコによる福音書8:1〜21)

マルコによる福音書8:1~21; 「弟子たちはパンを持ってくるのを忘れ、舟の中には一つのパンしか持ち合わせがなかった。その時、イエスは、『ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種に十分気をつけなさい』と戒められた。そこで弟子たちは、パンを持っていないということで、互いに議論し始...